「辛いときは上を向いて」 “寝たきり社長”が語る、声を失って気づいた当たり前の幸せ

LINEで送る

この記事の写真を見る(1枚)

この記事の動画を見る

この記事に関するTwitterを見る

 生まれつきの重い障がいを抱えながらも、自ら会社を立ち上げ、コラムニストや大学の非常勤講師としても活動する、“寝たきり社長”こと佐藤仙務(さとう・ひさむ)さん。

 10月5日に放送されたラジオ関西の番組『明日への扉〜いのちのラジオ+〜』に出演し、これまでの歩みや、困難を乗り越えて得た気づきについて語りました。

“寝たきり社長”こと佐藤仙務(さとう・ひさむ)さん、番組パーソナリティーのシンガーソングライター・川嶋あいさん

 佐藤さんは、生後10か月のときに脊髄性筋萎縮症を発症。筋肉を動かすために運動神経細胞が変化して、手や足などの筋肉が弱くなっていく病気で、立つことも歩くこともできず、現在もベッド上で生活しています。

 そんな佐藤さんが起業に踏みきったのは、19歳のとき。ホームページ制作や名刺の作成を手がける合同会社仙拓を設立しました。

 その背景には、就職の難しさがあったといいます。

「小学校から高校まで特別支援学校に通っていましたが、そのなかでも特に障がいが重たいほうでした。いままでの友人は一般の就労に行っていたんですけど、僕は障がいが重たいが故に雇ってくれる会社や働く場所がなくて。『働く場所がないなあ、どうしよう』となったときに、自分で会社を起こすことが働ける唯一の方法だったんです」(佐藤さん)

 現在は、目の動きをパソコンに読み取らせる“視線入力装置”を使って、ビジネスや情報発信を行っています。

 社長業に加え、YouTube出演、新聞コラムの執筆、テレビ番組への出演、講演活動、そして大学講師としても活躍。2024年には、愛知県から「あいち広報大使」に任命されました。

「障がいがあるから働かなくてもいい」という発想はなかったと語る、佐藤さん。その理由について、「障がいがあるからといって、家族から特別扱いをされたことはなかった。兄たちが働いている姿を見て、同じように自分も働いて稼いで、家族に何かしてあげたいと思ったんです」と振り返りました。

 そんな佐藤さんにも、人生最大の試練が訪れました。

 数年前、インフルエンザと肺炎でICU(集中治療室)に入院し、一時的に声を失う経験をしたのです。

「話せることが当たり前だったので、話せなくなったときに、人との会話やコミュニケーションができなくなった。それこそ、僕は体のほとんどを動かすことができないなか、声でなんとか人とコミュニケーションが取れていたのに、それすらなくなってしまったことはとても辛かった。でも、声を取り戻したときに、味わったことのない喜びがあったんです」(佐藤さん)

LINEで送る

関連記事