少なくとも1950年代には現代のスタイルが普及?寿司ソングから見る昭和の寿司の歴史 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

少なくとも1950年代には現代のスタイルが普及?寿司ソングから見る昭和の寿司の歴史

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 昭和歌謡、昭和ポップスにスポットライトを当てたラジオ番組で、寿司について歌った昭和の名曲が特集されました。

『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』(ラジオ関西)では、日本を代表する伝統食・寿司の魅力について、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリさんが楽曲に触れながら解説。橋本菜津美さん(シンガーソングライター・インフルエンサー)とともに語り合いました。

寿司ソングを通して知る昭和の寿司の歴史

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 現在のような握り寿司の原型ができたのは江戸時代後半の文政年間(1818~1831)だと言われています。それが大正時代末期から昭和時代にかけて全国に普及し、1958年には大阪・布施で初の回転寿司「元禄寿司」が誕生。安価になり、さらに広い層に食べられるようになっていきました。

 昭和の歴史は、まさに握り寿司普及の歴史。では当時、お寿司について歌った曲はどれくらいあったのでしょうか。

 そこで、番組が取り上げた最初の1曲は、笠置シヅ子さんの『買物ブギー』(1950年)。ブギのリズムに合わせて関西弁でまくしたてる、当時としては相当斬新な曲だったようです。

 作詞・作曲した服部良一さんと、歌った笠置シヅ子さんは、ともに大阪とゆかりの深い音楽人。「とり貝 赤貝 たこに いか 海老に 穴子に キスに シャコ ワサビをきかせてお寿司にしたならなんぼかおいしかろ」という歌詞からは、当時、大阪でも現代とさほど変わらない寿司のイメージができ上がっていたことがうかがえます。

 なお敗戦による食料統制で、1947年からこの曲がリリースされる前年の1949年までは、多くの飲食店が営業禁止に。寿司店も当初、禁止業種に含まれましたが「1合の米と握り寿司10個を交換する委託加工」という体裁をとって切り抜けました。日本人にとって寿司はすでに欠かせない食べ物だったのですね。

 次の曲は、美空ひばりさんの『江戸っ子寿司』(1958年)。本人が出演した1959年公開の東映映画『東京べらんめえ娘』主題歌です。この映画でひばりさんは、江戸っ子寿司屋「寿司正」の看板娘「ひばりちゃん」を演じています。「握り寿司=江戸っ子」だというイメージも感じさせられます。

 この年、大阪・布施でビール工場のベルトコンベアを参考にした元祖・回転寿司の元禄寿司が開業。フランチャイズ展開し、1970年代には全国で200以上の大チェーンに発展しました。東京発祥の握り寿司ですが、回転寿司は大阪発祥というのが面白いですね。

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