阪神・淡路大震災から31年を迎える1月17日、神戸市が東遊園地(同市中央区)で開く追悼の集いで、遺族代表の言葉を述べる兵庫県加古川市の介護士・佐藤悦子さん(62)が13日、神戸市役所で思いを語った。

悦子さんは母・正子さん(当時65歳)が行方不明となり、いまだに発見されておらず、見つからないまま過ごした31年を振り返り「亡くなった方とは別に、母のような人がいることも知ってもらいたい」と語った。
正子さんが須磨区でひとり暮らしをしていたアパートは震災で全焼した。甚大な被害を受けた新長田駅(同市長田区)に近く、火災の被害が大きかった。自衛隊や消防、警察が繰り返し捜索したが、正子さんは行方不明のままだ。
震災から半年がたった1995(平成7)年7月、「区切りをつけるために」と親戚に促され、アパートの跡地で正子さんの葬儀を開いた。その後も気持ちの整理がつかず、母の写真をつけたチラシを作成し情報収集をしたが、手がかりは得られなかった。
震災の約1年半後に失踪宣告が受理され、法律上の死亡が確定(通常の失踪宣告受理は7年だが、災害時は1年半とされる)。その後も死を受け入れられずにいる一方で、当時小学生だった長女と次女は成人となり、孫ができた。その孫も17歳になる。「娘たちは、幼いころから私に気遣っていたのか、母のことは聞いてこなかった。この31年間、あっという間だったのか、長かったのかもわからない。今思えば、ほかに探し方があったのかと自分を責めてしまうこともあった。骨のかけらも見つけてあげられなかった」と心境を話す。

そして、「震災は揺れが収まったら終わりではない。私のようにずっと捜し続けている人もいる。6434人の犠牲者以外に、3人の行方不明者がいることを知ってほしい」と訴える。
また、「ここ数年、震災を知らない若い世代の方々を東遊園地で見かけることが多くなった。何年経っても忘れないでほしい」と呼びかけた。
遺族代表を引き受けたのは、「本当は遺族と認めたくない自分がいる。しかし、これだけの歳月が流れ、徐々に遺族とならざるを得ない」との思いが芽生えたからだった。

おっとりして、働き者だった正子さん。いつも悦子さんの味方だった。震災2日前に電話したのが最後。悦子さんは、「さよならのない別れ」と振り返る。16年後に起きた東日本大震災では多くの行方不明者がおり、他人事とは思えなかったという。






