阪神・淡路大震災、そして東日本大震災——。この2つの大災害を現場で経験した女性が、いま自身の被災体験や予備自衛官としての活動をもとに、子どもたちに防災の大切さと生きる意味を伝えている。
バレーボール・SVリーグ女子のヴィクトリーナ姫路で通訳を務める阿部美奈子さん。チームの活動の合間を縫い、姫路市内の小中学校で精力的に防災講義を行っている。
1月26日に訪れたのは、姫路市立城乾中学校。ヴィクトリーナの練習場として使われたこともある、チームと縁の深い場所だ。阿部さんは約50分にわたり、「震災は過去の話ではなく、今この瞬間にも起こり得ること」と強調しながら、命を守る意識や次世代に伝えるべき教訓について語った。

◆「冗談抜きで、2〜3メートル吹き飛ばされた」
1995年当時、阿部さんは神戸を本拠地とするバレーボールチーム「ダイエーオレンジアタッカーズ」で、名将として知られるアリー・セリンジャー監督(現、ヴィクトリーナ姫路の監督、アヴィタル・セリンジャー氏の父)の通訳を務めていた。
宮崎での試合を終え、神戸に戻った翌日の1月17日未明。直下型地震の激しい揺れで、布団ごと「冗談抜きで2〜3メートル吹き飛ばされた」という。布団をかぶって叫んだ直後、今度は激しい横揺れに襲われ、「バリーン、ガッシャーンと、すべてが壊れる音がした」。とっさに母の顔が浮かび、「私、死ぬのかなと思った」と振り返る。
無事だったものの、次に頭をよぎったのは選手たちの安否だった。当時は地下鉄も止まり、携帯電話もない時代。公衆電話には長蛇の列ができ、空には紫やピンク、オレンジが混じった不気味な雲が広がっていたという。
阿部さんは2駅先にある選手寮まで、山を越えて約2時間歩き続けた。寮では、パジャマ姿ではだしのまま飛び出してきた選手たちが、抱き合って泣いていた。
未曽有の被害が出たにもかかわらず、リーグ戦は延期されずに続行。その週末には九州での試合が控えており、「がれきで道なき道をバスで進み、外が見えないようにカーテンを閉めたまま、みんな泣きながら神戸から姫路へ移動し、新幹線で博多へ向かった」。
選手たちの心は限界に近かった。「『もうバレーをやめたい』『実家に帰りたい』と、毎日泣いていた。心は本当にボロボロだった」。それでもセリンジャー監督は、「神戸のために戦おう。亡くなった人のために戦おう」と繰り返し鼓舞した。
阿部さんは涙をこらえながら、その言葉を何度も訳し続けた。「Play For KOBE(神戸のために戦おう)」——。
チームは苦境の中で戦い抜き、そのシーズンのリーグ戦で優勝、日本一を達成する。「優勝の瞬間は爆発的にうれしいと思っていたけれど、実際は違った。『終わった』『もう戦わなくていい』と、ただ安どした。その感覚は今でも忘れられない」と語る。
◆東日本大震災、そして予備自衛官として
それから16年後の2011年3月11日。阿部さんは山形県の中学校で東日本大震災に遭遇した。4階の校舎で激しい横揺れに見舞われ、経験のない生徒たちは泣き叫び、動揺していた。
阿部さんは「机の下に入りなさい!」と指示しながら、「教員として、この子たちを命がけで守らなければならないと強く感じた」という。
校内に大きな被害はなかったが、阿部さんは約2か月前に任官したばかりの予備自衛官として、被災地・宮城県石巻市へ向かった。自衛隊とともに活動する米軍部隊の通訳が任務だった。





