東日本大震災発生から15年になるのを前に、被災地・岩手県の沿岸・大船渡市在住のカメラマンとして東日本大震災を取材し、復興のようすを撮り続けてきた花崎和彦さん(岩手朝日テレビ)がラジオ関西の取材に応じ、1995年に起きた阪神・淡路大震災の教訓が生かされたのか聞いた。
家族5人で暮らしていた花崎さんの自宅では、震災発生当時は停電が起き、電波状態が悪くなり携帯電話が使えなくなるなどした。
しかし、「水や食料を備蓄し、ラジオから情報を得ることができたので、当面の不安はなかった。(自身にとっては)教訓が生かされた」と答えた。
このように、一部に阪神・淡路大震災を教訓にした人々がおり、「備え」の意識はあったと話す。
そして、「そうした方々がいたおかげで、全国からの支援が届くまで命をつなぐことができたのかも知れない」と振り返る。
しかし、大船渡市をはじめ、三陸沿岸の住民がそろって災害に備えていたわけでもない。花崎さんが避難場所や被災を免れた地域を取材で回った時、それぞれの地区で暖房器具や毛布、食料などを持ち寄り、譲り合いながら生活していた姿が印象に残ったという。
阪神・淡路大震災から16年後に起きた東日本大震災、「備え」の意識に個人差があったともいえる。
岩手県陸前高田市には、東日本大震災の被災者を勇気づけ、希望を持ってもらおうと、神戸のモニュメント「1.17希望の灯り」から分灯された「3.11希望の灯り」が設置されている。花崎さんは毎年1月17日、発生時刻の5時46分に合わせて、毎年取材に向かう。
花崎さんは、「支援のために訪れたボランティアの方々、支援物資を送ってくれた多くの方々への感謝の気持ちを忘れないように、私も手を合わせる。また、陸前高田市にお住まいの方々も灯りの前で祈りを捧げている。訪ねてみるとやっぱり私と同じような思いで手を合わせているようだ。かつては年配の方々が多かった印象だが、昨年からは地元の中学生のみなさんも列に加わっている」と世代を超えた思いに希望を感じている。




