『明智光秀を破った「丹波の赤鬼」~荻野直正と城郭』の著者・高橋成計さんに、田辺眞人が直撃(2)「赤井直正の生涯について」

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 明智光秀ゆかりの地として注目される兵庫丹波の歴史、日本遺産、文化施設、食文化、地域活性に活動される方を多目的に取り上げる『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』(ラジオ関西)。4月30日放送回では、前週に続き、『明智光秀を破った「丹波の赤鬼」~荻野直正と城郭』(神戸新聞総合出版センター)の著者・高橋成計さんが電話出演。「赤井直正の生涯について」をテーマに、高橋さんと、「兵庫・神戸のヒストリアン」として活躍する田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授がトークを展開しました。(構成:久保直子さん)

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田辺先生
高橋成計さんの著書『明智光秀を破った「丹波の赤鬼」~荻野直正と城郭』(神戸新聞総合出版センター)を手にする、『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』パーソナリティーの田辺眞人さん

田辺眞人さん(以下、田辺) 赤井直正は、享禄2(1529)年に生まれ、天正6(1578)年に亡くなっていますね。

高橋成計さん(以下、高橋) 49年間生きた人です。

田辺 伊丹合戦や三木合戦の最中ですね。ちなみに、直正が生まれたのはどこですか?

高橋 今の丹波市氷上町新郷です。

田辺 赤井時家の子として生まれたのですね。

高橋 次男として後谷城という館、50メートル四方くらいの居城で生まれます。

田辺 はっきりとしたことがわかるのはいつからですか?

高橋 才丸と称して朝日城の荻野十八人衆のところに養子に入ってからです。

田辺 養子に入った荻野家で力を蓄えていくわけですか?

高橋 そうです。荻野の本家黒井城主が荻野秋清です。秋清は直正を養子として迎えることを了承していたのですが、朝日城に入るときに一族の中に「納得がいかない」という者がいました。それでも、直正の父が「直正が養子に入るが、一族の中に受け入れられないという者がいるようだが、こちらにも考えがある」とおどしをかけ、うまくいったようです。

田辺 荻野の本城は黒井城ですね。

高橋 秋清は平地の居館、留堀城にいました。今の市島。黒井城の北2キロくらいのところです。

田辺 荻野の総帥に取って代わりますね。

高橋 天文23(1554)年正月の2日、年始の挨拶に行ったとき、直正が刺殺したとか家来が切りつけたとかいう逸話が残っています。

田辺 荻野家の総帥を刺殺した場所は留堀城ですか?

高橋 黒井城だという説もありますが、黒井城のような山の上で正月を迎えるわけはないので、留堀城だと思われます。

田辺 1554年から直正が荻野の総帥になって行ったということでしょうか?

高橋 それが、なれないんですね……。弘治元(1555)年に香良合戦という一族の争いが起こります。親戚にあたる足立権太兵衛と芦田目留が、直正に反旗を翻します。親戚ですから憎しみの深い戦いになり、そこで直正方は大きな傷を負います。直正の兄は重傷で弘治3(1557)年に亡くなりました。直正自身も7か所の傷を負い黒井城まで撤退しました。

田辺 このとき、足立や芦田に負けたわけですか?

高橋 そうです。この一族の争いは、直正を黒井城主として成長させる一番の元となったと思います。

田辺 それが香良合戦ですね。

高橋 そうです。直正は丹波、それから今の福知山や綾部に出て行こうとしますが、丹波の守護は細川氏であり、守護代は内藤氏ですよね。この内藤氏の所に三好氏が松永久秀の弟の松永長頼を入れます。これが内藤宗勝と名乗って、直正と戦うのです。直正も一時、黒井城を内藤氏に奪われ、時家と直正は別所に逃げています。永禄4年に内藤宗勝が若狭の武田氏と朝倉氏の連合軍18000に若狭で負けるんです――要するにこれは三好氏なのですが――そのため内藤氏の勢力は衰えます。そのなかで、若狭の戦いで前線に送られてひどい目にあわされた今の綾部あたりの者が、内藤氏に反旗を翻すんですね。そこに直正がつけこんで味方に引き入れ、内藤宗勝を天田かどこかで殺害します。これは大きな転機ですね。それが永禄8(1565)年のことです。

田辺 織田信長がいよいよ動き出す頃、桶狭間の戦い(1560年)のあとですね。

高橋 元亀2(1571)年には山名氏の山垣城への侵攻を許してしまいます。どうも丹後の方へ直正が出ていくと――山名の本家は豊岡ですから――山名祐豊が危険を感じ、山垣を襲ったのではないかと思われます。

田辺 その反撃のため、竹田城まで行くわけですか?

高橋 いや、そうではないんですよ。西の方から毛利に追われる尼子が――山中鹿介ですよね――鳥取とか今の若桜鬼ケ城のあたりを占拠しているんです。すると山中鹿介の使いが、夜久野で「丹波に行くにはどうすれば良いか」と聞くんですね。そのときに黒井城に来て「背後から竹田城を襲ってくれ」と言うのです。山名氏が毛利氏に追われて退去を図ろうとして若桜鬼ケ城にいると、竹田城主の太田垣、それから山名が毛利方となって攻めて行くんですが、それを「背後から突いてくれ」と使いを送っているんです。誰もこの説は言っていませんが、おそらく背後から突いてくれといわれ、竹田城の太田垣を襲って今の竹田城を侵略するんです。

田辺 その結果、直正が西は竹田から東は福知山・綾部までを支配下に治めたのですね。直正自身の人物像について、甲陽軍鑑などに書かれているところによると、一言でいうとどういうものでしょうか?

高橋 義を重んじる人です。荻野に養子に入っているので、赤井を立てます。弟の幸家がいるのですが、毛利に手紙を出すときに、幸家を先頭に立て自分は後ろに書いて赤井を立てています。兄貴が亡くなっていますが、兄貴の子の忠家を盛り立てています。ただ戦のときだけは前に出ていくという。だから波多野氏の領域も侵さず、別所も侵さないが、山名とか、北の天田・何鹿に攻めていったり、京都の東の方へ行くという。縄張りをきちんと守る人であり、律儀な人だと、伝承などから私は受け取っています。

田辺 そこへ1570年代になって信長の勢力が伸びてきて、前線司令官の光秀と戦うことになるんですね。

高橋 それは要するに太田垣と山名が信長に救いを求め――基本的に毛利なんですが―――この頃はもう戦いのなかで全くそういう色分けができないんですね。強いものに頼るというもの。とにかく毛利はあてにならない、毛利は上月までがやっとという感じですから。だから天正3年の10月の終わりくらいから織田に救いを求めて直正は取り巻かれるわけです。

田辺 では、そのあたりは再来週シリーズ第4回でお聴きかせ下さい。

番組
田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と久保直子さん
田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と久保直子さん

高橋成計『明智光秀を破った「丹波の赤鬼」 ~荻野直正と城郭~』(神戸新聞総合出版センター)
定価 本体2,300円+税
発行日 2020年2月
ページ 240ページ
ISBN  978-4-34-301061-2

神戸新聞総合出版センター
https://kobe-yomitai.jp/book/1007/


『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年4日30日放送回

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