困惑するのは現場の検事。 ある中堅検事は「困惑……というよりも恥ずかしい、情けない、というのが素直な感想。修習生のときに教わった検察の理念は微塵もないよね。黒川さんさえ『辞める』と言えばすべて片付く話なのに」と語った。
検察の中立性を維持するため、検察内部で大事にされてきた原則がある。それが「検察官同一体の原則」。検察官の誰もが同じ職務を遂行して同じ成果を出す、代わりの効かない存在はいない、という考え方だ。
高等検察庁のトップ・検事長は、いわば中二階的な立場。黒川氏は法務省にも19年在籍し、政治家とも近い位置にいたとされる。しかも人当たりがよく、検事特有の「ひとクセ」がないというのが内部からの人物評だ。でもそれだけで「官邸の守護神」になれるのか。「検察官同一体の原則」を鑑みれば、黒川氏にこだわる必要はない。
政権と検察とのバランスを保つのは検察庁法で規定された『身分保障』と『定年制』。政権は懲戒処分などを除いて検事を罷免できず、逆に検事は定年が来れば必ず退官する。この『定年制』こそが政権からの介入を塞き止めるものとされる。
検察庁法には法務大臣が個別の事件を指揮することができると定められている。これが「指揮権」。具体的事案については法務大臣から「オール検察トップ」の検事総長を通じてのみ指揮ができる。 これまで指揮権が発動されたのは1954年(昭和29年)の「造船疑獄」の1回だけだ。検察は当時の与党・自由党の佐藤栄作幹事長を収賄容疑で逮捕する方針だった。しかし犬養 毅法務大臣は、佐藤藤佐(とうすけ)検事総長に対して指揮権を発動し、逮捕を阻止した。前例のない流れに世論の批判は高まり、吉田茂内閣が退陣した。
指揮権発動で内閣は崩壊、絶大な権力を持つ検察が政治から独立したことが民主主義のあるべき姿といえる。政治との距離を置き「国策捜査だ」などと世論の批判を浴びても、 前述のように「そこに罪があるのかどうか捜査を尽くして証拠を吟味」していれば、不起訴処分としたときに世間から「政治に忖度した」と誤解されない。
しかしこの定年延長問題に先立ち、「政治に忖度した」と言われかねない出来事があった。2018年のことだ。
学校法人・森友学園を舞台にした国有地売却や公文書改ざんの問題で刑事告発された佐川宣寿元国税庁長官や財務省職員ら38人について、大阪地検特捜部が全員不起訴に。特捜部は財務省にメスを入れることなく、落としどころは籠池・元理事長夫妻の「補助金詐欺」のみとなってしまった。
当時の女性特捜部長は地方の検事正を挟んで大阪地検ナンバー2の次席検事に栄転。ベテラン検事は「検察組織としては『よくやった感』が十分。ウチも組織だから」とつぶやく。