光秀と丹波篠山市の関わりとは 酒井市長に聞く 『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』

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 明智光秀ゆかりの地として注目される兵庫丹波の歴史、日本遺産、文化施設、食文化、地域活性に活動される方を多目的に取り上げる『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』(ラジオ関西)。5⽉21⽇の放送回では、「明智光秀と丹波篠山市」をテーマに、大河ドラマ『麒麟がくる』の舞台の1つになっている丹波篠山市の酒井隆明市長にインタビュー。「兵庫・神⼾のヒストリアン」として活躍する⽥辺眞⼈・園⽥学園⼥⼦⼤学名誉教授と、ともにパーソナリティーを務める久保直子さんとの対談の様子が放送された。(収録日は2020年4月27日 構成:久保直子さん)

写真中央が丹波篠山市の酒井隆明市長。右に、「兵庫・神⼾のヒストリアン」として活躍する⽥辺眞⼈・園⽥学園⼥⼦⼤学名誉教授。左は、田辺さんとともに番組パーソナリティーを務める久保直子さん
写真中央が丹波篠山市の酒井隆明市長。右に、「兵庫・神⼾のヒストリアン」として活躍する⽥辺眞⼈・園⽥学園⼥⼦⼤学名誉教授。左は、田辺さんとともに番組パーソナリティーを務める久保直子さん

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久保 丹波篠山市を舞台の1つとする大河ドラマ『麒麟がくる』が放送されていますね。

酒井市長 丹波篠山市には丹波富士(高城山)というきれいな山があるんです。この高城山にあるお城が、八上城です。波多野秀治がお殿様だったのですが、そこに攻めてきたのが明智光秀です。ですから、私たちはゆかりの地としてこの大河ドラマに大変期待をして楽しみに見ています。

田辺 中部からきて近畿地方を抑えた織田の勢力が、さらに西の中国の毛利に行くにはルートが2本あります。1本は瀬戸内海側の山陽道、もう1つは日本海側の山陰道で、京都の都から山陰道に入るところが、この丹波国です。山陽道方面は羽柴秀吉が前線司令官になり、山陰道方面の前線司令官としては明智光秀がここ(丹波篠山)にやって来るわけですね。これを大河ドラマにするために、かなりのご尽力があったと思うのですが……。

酒井市長 10年前くらいから京都の福知山、亀岡などの皆さんと一緒に「明智光秀をぜひ、大河ドラマに」という誘致活動をやってきました。

田辺 実際にご覧になっていかがですか?

酒井市長 丹波が出てくるのは、まだ先だと思うのですが、光秀の丹波攻めというのは(光秀の)武将としての一番の大きな殊勲で、信長に非常に高く評価されましたので、いつ(丹波が)出てくるか楽しみです。

田辺 信長が近畿地方に出てきて「比叡山焼き討ち」をするときに、比叡山のふもとに坂本城を光秀に与える(築かせる)わけです。坂本城の西に京都があって、京都から西に向いて出ていく山陽道を攻撃させ、丹波を平定したあと、丹波国を光秀に与えます。京都の東にお城を持っていて西側を与えたということは、やはり信長にとって光秀はものすごく信頼していた有能な家来だったということでしょうね。

酒井市長 ところが私どもの自慢は、この八上城がなかなか落ちなかったということなんです。明智光秀の11回にもわたる猛攻撃にも八上城は落城しなかったんです。山城跡が市内に40以上ありますが、一緒になって光秀と戦って、なかなか落城しなかったんです。

田辺 1年あまりかかりますもんね。

酒井市長 もっとかかってませんか?

田辺 最初に来たときは、波多野と赤井が連合して明智光秀は負けて逃げるんです。本格的に攻撃しに来たときにも、1年あまり取り囲んでいますね。

酒井市長 我々のところには伝説(言い伝え)があります。「なかなかお城が落ちなかったので、『早く落とせ』と信長に急き立てられた光秀は、自分の母を人質にして講和を申し入れた。波多野秀治を安土城に送ったが(秀治は)信長に殺されてしまった。人質に出された光秀のお母さん(牧)が八上城で張り付けにされた」というものです。

久保 石川さゆりさんが(大河ドラマ『麒麟がくる』のなかで)演じていますね。

田辺 石川さゆりさん、そんなふうになるんですかね……?

久保 そんな場面がこれから出てくるんですか?

酒井市長 そうではないかと内心思っているんですが……。

田辺 それにちなんで石川さゆりさんのコンサートがあるんですか?

酒井市長 3月に予定していたのですが、新型コロナウイルスの影響で延期になり、今のところ8月22日を予定しているんですが……。

インタビュー収録のようす
インタビュー収録のようす

田辺 さて、光秀のお母さんが張り付けになったというのは江戸時代の記録、「八上戦記」や「高城軍記」に出てきます。ただ、信長の時代から時間が経ってから書かれたものです。明智光秀の伝記「明智軍記」も後の時代に書かれたものです。残念ながら信長の時代のことを一番詳しく書いている「信長公記」のなかには、あまりそう言ったことは書かれていません。歴史と、歴史ドラマは違いますからね。

酒井市長 しかし、私たちのところの「丹波篠山ふるさとガイドブック」には書いてあるんです。私たちが小学校の頃に遠足で高城山に登りますと、お牧さんが張り付けになった「はりつけ松跡」がありました。

田辺 今、その松はどうなっていますか?

酒井市長 その松の子どもか子孫がいると言われています。「はりつけの松跡」があってね……。私たちはそう信じてきて、ずっと言い伝えられています。それが原因で、本能寺の変が起きたと。光秀が、お母さんを殺されたことからの恨みと言いますか……。

田辺 波多野秀治に「降伏するならば波多野氏を保証する」と光秀が言い、その保障に(光秀の)お母さんを八上城に人質として送り込み、(秀治たちを)安土に連れて行くんです。ところが信長が「切り殺せ」と言って処刑してしまうんです。

久保 ひどい話ですね……。

田辺 そして、人質だった光秀のお母さんも八上城で殺されてしまう。これが本能寺の変の、明智光秀の心情の原因になったというのは、昔から言われている説ですね。

酒井市長 岐阜県の恵那市というところには、全国で唯一のお牧さんのお墓があります。そこで供養祭が毎年行われているんですが、ここでも、お牧さんは丹波篠山の八上城で亡くなったとされているんです。

田辺 恵那も明智光秀の出身地のひとつと言われていますね。従来は本当だろうと言われていたんですが、このところ、そこでない場所が有力という説も出てきています。あと4か所ほど光秀の出身地という場所がありますね。

酒井市長 明智城という説もありますね。

田辺 のちの伝説のなかでは、明智光秀は、美濃国の守護を幕府から任命された土岐氏の血を引く一族だといわれています。ただ、それもはっきりしたことはわかっていないんです。光秀は、信長や、その前の十五代将軍(足利)義昭と出会う頃までは、本当にわからないんです。我々歴史の立場では、いろんな証拠があって「絶対大丈夫だ」というものしか言えないわけです。1つだけ書いてあっても、本当かどうかというのは(確定できず)、「こうも言われています」と。ところが歴史小説を書く人や講談は、わからない方が良いものはたくさんできるわけですよ。いっぱい作れますからね。ですから、ちょっと苦しいところはありますね。

酒井市長 石川さゆりさんのコンサートでは、講談師の旭堂南左衛門さん(兵庫県立篠山鳳鳴高等学校出身)にも講談をやってもらおうと計画しています。

田辺 もう1つ、八上は、今では田園地帯ですが、戦国時代の終わりには大きな城下町で交通の要衝でした。篠山の城下町だけではなく、篠山のルーツになる八上の町も、訪ねていただけるようになればいいですね。

酒井市長 (八上城)ふもとの町が、殿町というんです。お殿さんは普段はその下の町で住んでいて、戦になったら山の上のお城に行かれていたということのようです。

田辺 篠山城と違って、八上城の時代のお城は、いざという時の逃げ込み場でした。普段はふもとの館で生活していました。平和で戦いのない篠山城の時代になると、お城がその地域の市役所みたいな、政庁になり、城主の住まいにもなります。丹波篠山市に来られると、中世のお城と近世のお城の両方を訪ねることができますね。

久保 ふたつもお城が訪ねられるんですね。今回は「明智光秀と丹波篠山市」ということで酒井市長にお話をうかがいました。また次回もお願いいたします。

番組
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田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と久保直子さん

『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年5⽉21⽇放送回音声

ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波 | ラジオ関西 | 2020/05/21/木 17:35-17:50

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