明智光秀ゆかりの地として注目される兵庫丹波について、歴史をはじめ多面的に取り上げる『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』(ラジオ関西)。5⽉28⽇放送回のテーマは、「光秀ゆかりの地、丹波篠山市の魅力」。前回に引き続き、大河ドラマ『麒麟がくる』の舞台の1つ、丹波篠山市の酒井隆明市長にインタビューした模様をお届けします。番組パーソナリティーは「兵庫・神⼾のヒストリアン」として活躍する⽥辺眞⼈・園⽥学園⼥⼦⼤学名誉教授と、久保直子さんです。(収録日は2020年4月27日 構成:久保直子さん)
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【久保】 丹波篠山市では、いろんな(ストーリー分けした)街道があるんですね。
【酒井市長】 『丹波篠山ロマン街道』という街道マップを作っています。桜を見るなら、どの街道が良いかをまとめた「さくら街道」をはじめ、「紅葉街道」「源義経の道」「祭礼の道」「町並み風景」「生きもの」等テーマ別に紹介しています。そのうちのひとつに光秀が戦った山城をまとめた「戦国乱世の道」もあり、総称して『丹波篠山ロマン街道』としてPRしています。
【田辺】 篠山盆地というのは京都の都から西に行くときの交通の要衝なんです。日本海側に出る山陰道と瀬戸内海側に出る山陽道とが、丹波国を通るんです。現在の国道372号線ですね。丹波国の多紀郡、その郡役所があったところが郡家という地名で丹波篠山の町のなかに残っています。ひとつの大きな地域社会になっていて、しかも盆地なので農業生産も豊かなところです。
1500年くらい前のものだといわれ、兵庫県で2番目に大きな(雲部)車塚古墳という前方後円墳もありますね。丹波篠山に来られたらそういった場所も見学されたら良いですね。
古代と中世の変わり目に京都から一の谷へ攻撃に行く源義経が篠山盆地の南側を東から西へ通りました。そして義経が最初に平家と戦うのも篠山市と加東市の境目の三草でした。
戦国時代になると国衆といわれる地方の土豪が出てきます。そういった土豪として波多野という一族が出てくるわけです。応仁の乱で山名氏と細川氏が戦います。細川氏が山名氏よりも優勢になったものの、細川氏は内部分裂します。この細川の分裂の時に(丹波国の)波多野氏が頭角を現します。周辺の土豪たちを抑えて戦国大名化して八上城に陣取り、そこへ信長の勢力が攻めてくるわけです。
【酒井市長】 市内には波多野さんという姓の家があります。八上城が攻撃されたときに落ち延びた方が黒田という所に行き、後に味間奥(お茶の産地として有名なところ)へ行ったので、黒田や味間奥には波多野さんという家が何軒かあるようです。
『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年5⽉28⽇放送回音声