丹波篠山市、城下町を歩く(1) | ラジトピ ラジオ関西トピックス

丹波篠山市、城下町を歩く(1)

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 明智光秀ゆかりの地として注目される兵庫丹波について、歴史をはじめ多面的に取り上げる『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』(ラジオ関西)。6月5日放送回からは4回にわたって、大河ドラマ『麒麟がくる』の舞台の1つ、丹波篠山市の城下町シリーズをお届けします。

◆八上城から篠山城へ

 戦国時代の終わりには高城山といわれていた八上城は、現在の篠山の町のやや東南側にありました。平和な時代が来たので、不便な八上城から経済あるいは交通の中心である篠山盆地の中にお城を移しました。西国の外様大名に睨みを利かせるということもあり小高い丘の上にお城を建設します(1607~1608年)。

 お城ができると八上城のふもとにあった町も、商人達が移住させられ篠山の町ができあがっていきます。篠山の町自体はその後40年ほどかけ1650年頃に城下町が形成されます。

「お城の北側の歴史的な街並みが残っているところを歩いてみました。まずは上二階町からスタートです」

◆二階町

 江戸時代にかなりお金をたくさん儲けた商人で、二階建ての建物をたてても良いという特権が認められた商人が住んでいたところを、二階町といいます(姫路にもありますね)。

◆町家の特色

 町の中の建物は、間口を広げるとたくさんのお店が並びません。そのため間口は狭く奥行きが深いウナギの寝床のようになっているんです(京都と同じです)。このあたりの建物は全部、妻入の建物が並んでいます。

◆妻入、平入とは?


『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年6⽉4⽇放送回音声

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