直正は郷土の誇り 光秀への思いは… 丹波市・谷口市長にきく 『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』

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 明智光秀ゆかりの地として注目される兵庫丹波について、歴史をはじめ多面的に取り上げる『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』(ラジオ関西)。6月18日放送回では、大河ドラマ『麒麟がくる』の舞台の1つ、丹波市を訪問し、谷口進一市長に、丹波市との明智光秀の縁、大河ドラマへの思いなど、様々な話をうかがいました。

丹波市の谷口進一市長
丹波市の谷口進一市長

【田辺】 せっかく長いご苦労の末に大河ドラマ『麒麟がくる』が始まったのですが……、(コロナ禍によるドラマ放送中断について)どういうお気持ちですか?

【谷口市長】 一言で言いますと、複雑な気持ちでございます。大河ドラマ誘致推進協議会というのができたのが9年前の2011(平成23)年でした。(明智)光秀、(細川)ガラシャ、(細川)幽斎、(細川)忠興ゆかりの地を何とかドラマにできないかということで、京都の方が中心になり、兵庫県から丹波市と丹波篠山市、また、福井県を含めて、11市町(京丹後市、宮津市、若狭町、舞鶴市、福知山市、綾部市、丹波市、丹波篠山市、亀岡市、長岡京市、大山崎町)が一緒になって、苦節7年、やっと2年前の2018(平成30)年4月に実現の運びとなりました。

【田辺】 ちょうど大河ドラマに決定した少し前に、新しい文献が出てきました。明智光秀と四国の長宗我部との関係で、はじめは光秀が中に立って長宗我部が信長に従い四国全土を長宗我部元親に与えると言っていたのに、信長が途中で方針を変え、伊予か阿波かを返せと言い出し、中に立った明智光秀が困っているという内容の文献が見つかりました。ちょっと話題になりましたね。そういったことも関係したのかもしれませんね。

【谷口市長】 私は非常に大喜びしたんです。私は『ラッキー市長』だと。ところが今年の2月頃から例のコロナ禍になってしまい……。直近では、(ドラマで)斎藤道三が息子さんに殺されるというショッキングなシーンがありましたね。あの美濃のシーンが終わって、次はいよいよ丹波の方に来るのかなとに思っていたのですが、そこで一時中断ということになり大変残念だなと思っています。

【田辺】 本当にあ然とするようなことになりましたね。

【久保】 でも逆に、丹波市でロケとかしてもらえたらいいのになと、ちょっと期待してしまうんですが……。

【谷口市長】 実は1989(平成元)年の平成最初の大河ドラマが『春日局』だったんです。まさに同じ丹波市春日町ですよ。あのときは地元でフィーバーになりましてね。

【田辺】 駅前に銅像も作ってね。

【久保】 あーそうだったんですか~。

【谷口市長】 あのとき、役場に勤めていた人の話では、1988(昭和63)年の年末頃になって(役場の中で)「あなたは産業課に行きなさい」と移動を命じられたそうです。産業課というのは観光をやっているんですね。そこに人を集めて1989(平成元)年から始まる新しい大河ドラマのために力を入れていました。お客さんはドンドン来られ、お土産はバンバンバン売れていくので(笑)。

【田辺】 やっぱり、あのときは観光客がたくさん来られたんですか?

【谷口市長】 相当(多く)の人が来られたようですよ。あのときの思い出は強烈にあります。それが令和という新しい時代になった今、またこの丹波市(黒井)が脚光を浴びるというのはうれしい悲鳴です。

収録のようす
収録のようす

【田辺】 丹波市というのは、どちらかというと地味ですが、一方で歴史のなかでものすごい大きな役割を果たしているのでは? 丹波篠山市も含めたこの地域の地形とか地理的な位置というものが大きな役割を担っていたと思うんです。丹波市の地形はどう言えばいいでしょうか?

【谷口市長】 丹波市はちょうど兵庫県のど真ん中にあり面積的にも広いんです。兵庫県で5番目くらいに広いんですが、75パーセントが森林です。現在、6万4千人くらいの方が住んでいます。

【田辺】 将来的にはどのように考えられていますか?

【谷口市長】 将来的には他と同じく人口は減少していくでしょうね。今のところ10年くらいで10パーセントは下がっていくかなという感じがありますね。

【田辺】 これはもうしょうがないですね。今回(コロナ禍もあって)テレワークが実現し、都会へ出勤せずに仕事ができたということですが……。かつてヨーロッパで産業革命が終わったとき、山の中で輸送費がかかるから、何とか軽くて小さくて高価なものを作ろうとしたのが「スイスの時計」です。都会の喧騒を嫌って(今回の経験を活かし)テレワークでやれるような企業を誘致されたら良いのでは?

【谷口市長】 なるほどね。

【田辺】 兵庫県でも明石市の人口が増えているでしょう? 明石のまちの人に聞いたらお母さんたちが子育てしやすいと言っているんですよ。本当に生活に密着して支えられているという実感が持てる政策とテレワーク。丹波市にもこれからチャンスがあると思いますね。

【谷口市長】 あまり密にならないで、むしろ自然の中で食料も自給自足できるという生活ですね。

【田辺】 空気がきれいで、水もきれい、都市と都市のソーシャルディスタンス。これは売りになる町だと思いますね。

【久保】 ほどよい距離でね。

【谷口先生】 それ使わせていただきます!(笑)

市長
丹波市の谷口進一市長

【田辺】 やはり日本海側と太平洋側との接点でいえば「水分れ公園」ですね。もっと言いますと、西南の「播磨」、東南の「摂津」、西北の「但馬」、東北の「丹波」「丹後」。ここは十字路です。物流の面でも自動車専用道路があります。これから大きな可能性があると思います。歴史のなかでもかなり早い時期から人々がここに住み着いたことは銅鐸の出土からもわかります。戦国の時代になり赤井直正のような武将が出てきたという場所でもあります。赤井直正のことはどんな風に思っていらっしゃいますか?

【谷口市長】 私も驚いたのですが、地元、春日の人のイメージからしても、赤井直正は郷土の誇りですね。はっきり言うと、明智光秀に対する恨みの裏腹になっている部分もあるということにも気づきました。

【田辺】 京都府側の丹波は、明智に抑えられて、明智の丹波経営の拠点になりますが、兵庫県側の丹波は敵対して最後まで戦ったという場所ですからね。

【谷口市長】 特にお寺や神社といった信仰の対象、自分が心の拠り所にしていた場所を焼き払われたという思いは、どうしても恨みとして残りますよ。田畑はローラー作戦の様に蹂躙されるし、人は殺される。それに対し真っ向から戦ってくれた赤井直正に対する尊敬の念が今もあると思いますね。

【田辺】 また赤井直正自身がはっきりわからない人物で、そんなに豊かに資料があるわけでもありませんしね。

【谷口市長】 私が子どものころに寝つくとき、よくおばあさんが昔話をしてくれましたが、そのときの「良いもん」と「悪いもん」がありましてね。「良いもん」は岩見重太郎。「悪いもん」は明智光秀でした。同じ丹波でも、京丹波の人は明智光秀のことを神さんのように言いますよね。我々はどちらかというと加害者という意識が(昔の人には)あったかなと思いますね。

明智光秀を大河ドラマにしようという署名活動が始まったときに(赤井直正は彼にやられたわけですから)地元では署名するのを躊躇した人もあったようです。歴史というのは両方から見ないと本当はわからないのでしょうけどね。恨みは何百年……もう400年もの間続いているということかなと思います。

兵庫五国のうちの丹波はわずか人口約10万人、兵庫県の2パーセントくらいの住民しかいないのに(兵庫五国の中で)一国の扱いを受けています。京都からすぐ近い場所にあり、まさにここを抑えておかなければならないという重要な拠点だったんですね。

【田辺】 京都の日本海側、山陰方面に行くときには丹波・但馬というのが出入り口ですからね。

【久保】 では引き続き、次回もお話をうかがいます。今回はありがとうございました。

(文・構成=番組パーソナリティー 久保直子)

番組
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田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と久保直子さん

『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年6⽉18⽇放送回音声

ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波 | ラジオ関西 | 2020/06/18/木 17:35-17:50

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