太平洋戦争の終戦前日、米軍による最後の大阪大空襲で多くの命が奪われた「京橋駅空襲」。14日、惨劇から75年を迎え、被災者慰霊祭が大阪市城東区のJR京橋駅南口にある慰霊碑前で営まれた。今年は新型コロナウイルス感染拡大防止を鑑みて、規模を縮小した。
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1945年(昭和20年)8月14日、米軍のB29爆撃機145機が来襲。ターゲットは大阪城の敷地内にあった大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)。6万5000人が動員された東洋一の軍需工場と呼ばれていた。B29爆撃機は650発もの爆弾を次々に投下、造兵廠一帯は壊滅的な被害を受けた。その際、1トン爆弾が近くの国鉄京橋駅を直撃し駅舎は吹き飛んだ。身元が判明した死者は210人、実際の犠牲者は500人~600人と推定されている。
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当時12歳だった照屋盛喜さん(87)は遺体を焼却場へ運んだ。「戦争は『人の命は鳥の羽根よりも軽いものだ』という価値観を植え付けたのが戦争。あと24時間で終戦を迎えたと思えば本当に悔しい。米軍は『フィナーレ爆撃』と銘打って日本にとどめを刺そうとしたんですね。あれから75年。太平洋戦争で命を失った方々に、残された私たちは今、平和を守っていきますと誓いました」と話した。
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「戦争は2度と起こしてはならない」毎年千羽鶴を奉納する女性グループの70代の女性は「あと1日待てば終戦、あの日何も知らなかった日本人。悔しさは年々強くなります」と話した。
京橋駅慰霊祭は1955年(昭和30年)に始まり、今年で66回目となった。子どもたちが平和のシンボル・鳩を掲げる京橋駅前のモニュメントは1984年(昭和59年)に地元・大阪城東ライオンズクラブが寄贈した。
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