江戸時代に命を張って兵庫県三木市の免租の特権を守った2人の遺徳をしのぶ「冬の義民祭」が12月8日、本長寺(同市府内町)で営まれた。三木義民顕彰会の会長を務める仲田一彦・三木市長が「2人の郷土愛を受け継ぐとともに志を心に刻み、まちづくりに取り組む」と墓前に誓った。
例年なら三木市立三木小学校5年生が郷土学習の一環として「三木義民の歌」を合唱するが、今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響により、取りやめになった。3番まである歌詞が、2人の義民が古里のために命懸けで立ち上がった経緯と功績を物語る。
(1)♪豊太閤(ほうたいこう)の制札は わがまち三木の栄えゆく 基となりてあり経しを 延宝検地の厳しきに あーあー募る苦しみ あーあー喘ぐその声♪
〈三木合戦で三木城を攻め落とした羽柴秀吉は1580(天正8)年、戦火から逃れた町民を呼び戻すため、三木を免租地とする制札(立て札)を立てた。免租は三木が栄える基盤となったが、徳川幕府時代の1677年、延宝の検地令でその恩典が取り消される危機に直面した〉
(2)♪救う手段のつづまりは 命尊き直訴なる 人静まりて息をのむ その時たちし二人あり あーあー岡村源兵衛 あーあー大西与三右衛門♪
〈住民は集会所になっていた本要寺(三木市本町)で話し合い、大庄屋の岡村源兵衛と年寄の大西与三右衛門が死罪覚悟で直訴することを決意した〉
(3)♪春三月にいでたちて 命の願い訴うる 月重なりて年の暮 誠は遂に通じたり あーあー岡村源兵衛 あーあー大西与三右衛門♪
〈江戸に向かった2人は老中の屋敷前で断食の座り込みをして訴えた。本要寺に残された制札も有力な証拠となり、免租の願いが受け入れられたうえ、2人は死罪も免れて郷里に朗報を伝えた〉