《東日本大震災10年(1)》定点観測で聞こえた「復興への足音」日本地震学会・西影裕一さん

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 未曾有の被害をもたらした「東日本大震災」から10年。これに先立つ2月13日夜には、福島県沖を震源とするマグニチュード(M)7.3の地震があり、最大震度6強を観測。10年経過しての『余震』に、人々は驚いた。地質や地震の研究を続ける日本地震学会会員の西影裕一さん(兵庫県姫路市在住)は、2011年3月11日に起きた東日本大震災の被災地へ何度も足を踏み入れ、後世に残すため無心に写真を撮り続けた。

西影裕一さん<2021年2月 姫路市内で>

 阪神・淡路大震災と東日本大震災、この2つの震災で撮りためた写真は1万枚にものぼる。これらの画像が訴えるものは何か。西影さんに当時を振り返ってもらい、私たちにとってどのような災害対策が必要なのかを聞いた。<記事中の写真撮影・提供 西影裕一さん>

奇跡の一本松 岩手県陸前高田市気仙町の高田松原跡地

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完全に破壊された街 震災半年後の宮城県・南三陸町志津川<2011年9月10日撮影>
完全に破壊された街 震災半年後の宮城県・南三陸町志津川<2011年9月10日撮影>

 あの時見た光景はまさに地獄絵図だった。それまで、いつもと変わらない生活を送っていた人々の人生は暗転した。10年前のことを思い出そうとして当時撮影した写真を見ると、走馬灯のごとく当時の光景が目に浮かぶ。

JR仙台駅・ボランティア受付<画像提供・西影裕一さん>
震災から1か月半の大型連休、ボランティア熱は高まる一方、地元では「受け入れ困難」のメッセージを発信することに<JR仙台駅・ボランティア受付 2011年5月3日撮影>

 そもそも、私が被災地・東北に行ったのは、阪神・淡路大震災でのボランティア経験(当時は兵庫県教育委員会に在籍し、西宮市内の小学校で救援活動)があり、東北でもボランティアをしようと思ったからであった。JR仙台駅に着くと駅舎でボランティアの受付をしていたのだが、すでに人員がいっぱいのためお断りということだった。ならば調査に行こうと思い仙台空港方面(宮城県名取市)へ。これをきっかけに計11回調査に行くことになる。レンタカーを借り、1回の(2泊3日)滞在で200~300㎞も走行していた。その間に撮影した写真は膨大な数にのぼる。

岩手県宮古市山田町・津波で高さ15mの屋根の上に車が(写真左上の白色乗用車)<2011年9月9日撮影>
宮城県気仙沼市・津波で乗り揚げたタンカー 海から500mも離れて陸地へ<2013年3月24日撮影>
宮城県気仙沼市・津波で乗り揚げたタンカー 海から500mも離れて陸地へ<2013年3月24日撮影>
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