兵庫県明石市で2001年、花火大会の見物客が歩道橋上で転倒し11人が亡くなった事故から21日で20年を迎え、明石市は21日、事故現場近くの大蔵海岸で、入庁1年目の職員20人を対象に事故の教訓を伝える研修会を開いた。
明石市では、事故後に採用された職員が全体の半数を超えた。事故で当時2歳の次男・智仁ちゃんを亡くした下村誠治さんが講師を務め、「雑踏の中で抱きかかえていた息子を自分の腕で絞め殺す形になってしまった。大事な家族を失った悲しみは時間がたっても忘れることはない」と語り、「『大丈夫だろう』という少しの油断が大きな事故につながる。有事に迅速に対応できるよう、常に丁寧な対応を心がけてほしい」と訴えた。そして、「若い職員の引き締まった顔つきを見て期待を持った。これからも語り続けて行きたい」と話した。
■「行政は市民の命を守る責任が」事故後に入庁の職員、20年で半数超える
明石市総合安全対策室・課長の上田晃司さんは当時、新人職員として歩道橋の下で警備や帰宅者の誘導をしていた。しかし、あの日「群衆雪崩(ぐんしゅうなだれ)」で大惨事が生じたことに気付いていなかった。「あの時、自分は何もできなかった」。後悔を胸に、現在は新人職員らに事故の教訓を伝える研修を担当する。
事故は7月21日、午後8時45~50分ごろに発生。上田さんは多くの人が歩道橋で倒れ、会場の運営本部に運ばれるのを見たが、はじめは熱中症で倒れたのかと思っていた。事故の詳細を知ったのは翌日の朝。「まさか、11人もが亡くなっていたとは…」と体が震えたという。
「今は事故自体を知らない人も多いと思うが、過去のこととして語ることはできない。行政は市民の命を守る責任がある。そして職員は自覚を持たないといけない」。上田さんは自戒を込めて語る。
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