この地域に創立100年を超える大阪市立聖賢小学校がある。照屋さんはこの学校が国民学校と呼ばれていたころに通っていた。当時12歳。終戦の年には京橋駅北東の船舶部品工場に学徒動員され、作業に当たっていた。
「学校では運動場で芋を栽培しては引っこ抜いたり…そんなことしか覚えてないですよ。何せ食べ物がなくて」
その母校で毎年、戦争語り部として子どもたちに平和の尊さを問いかけていた。しかし去年、新型コロナウイルス感染防止のため、行事は取りやめになった。ことしは感染対策をほどこして「リモート講演」となった。
「私はね、リモートやらオンラインやら、何のことかわかりませんでしたよ。戸惑いました。私が学校で習った横文字(英語)は、ABCD包囲網という、太平洋戦争前の日本が置かれた世界的な制裁のことぐらいでしたよ。英語を使うと叱られました。運動会の協議の応援で『フレー、フレー(hurray)』なんてことも言えなかったです。いままでは教室で、講堂で、たくさんの子どもたちに紙芝居形式で戦争の話をしていました。でもね、今年は小学校の教室にポツンと1人、目の前にはノートパソコンが1つ。画面を見れば、4つに分割されて子どもたちが顔を出している。3年生から6年生。話を始めるきっかけがわからなくて。もう担当の先生から言われるがままにお話ししましたがね」
「生身の人間が、対面しながら、向き合いながら話すから伝わると思うんですがね。今の小学生にとって、祖父母はもう戦後世代。空襲警報や防空壕、焼夷弾(しょういだん)に防空ずきん…こうした言葉すら、子どもたちにとって何のことかわからない。その説明から始めなければならないのです。しかしコロナも恐ろしい。収束しなければ、子どもたちと距離を縮めてお話しできない。こうして、少しづつ表現の仕方、教育現場のあり方も変わるんでしょうな」
照屋さんは最近、戦時中と重なることが多々あるという。今、国は真に国民と向き合っているのか。
「戦時中はね、私たちがラジオのニュースで毎日のように『皇軍は連戦連勝、向かうところ敵なし』という内容を聴きました。日本はすごいな、世界一強いな、子ども心に思ったもんですよ。しかしそれは違っていた。敗戦はもちろん、そこに至るまでに、日本は完全に時代遅れの戦力、欧米列強にあざ笑われるような存在だった。学校では欧米列強を”悪”や”鬼畜”と扱い、ただただ憎むべきものとしか教えなかった。幼い頃に受けた教育の中身は、教わった身からすると頭から離れないものです。そしてお国のことは秘密、秘密だった。本当の日本の戦局については、何も知らされなかったんです」
その秘密主義、見えない政府に不信感は募る。「今はどうでしょう。例えば日本学術会議任命拒否問題。総合的、俯瞰(ふかん)的活動を確保するという観点で、個別の人事のコメントを拒んだ首相の態度にはびっくりしました。コロナ対策でも、国民の命を守ると繰り返すだけで、具体的に何をどうするのか説明がない。東京オリンピックの開催についても感染拡大を危惧する声が挙がっているのに、何となく開幕日が迫り、開催する方向へ持って行った。そこに国民の議論などなかった。幾度となく出された緊急事態宣言の効果についても何も検証がないんですな」