しかし、明治時代も中期となると、時の(明治)天皇は「勝った、負けた」に終始する史観を好まなかったとされている。そこで絵巻として原画が完成した。のちに一般国民にも見られるようにとモノクロの木版画として作成される。当時は色彩鮮やかな”錦絵”があったが、戦(いくさ)を表現する以上、鮮血など生々しさが残るため、色をつけなかったのではないかと分析している。
39景の最初は正月の御所の穏やかな様子から始まる。国民がどんな正月を迎えたかを表現。通常、戦いの絵巻は勝者側が恣意的に勝ったシーンを強調したものになりがちだが、戊辰戦争絵巻はそれまでの戦記物と異なり、生き残った者が淡々と証言した「ほぼありのまま」を表現しているという。大砲の角度はもちろん、官軍兵士に主食を饗する民衆の姿、イングリッシュセターと呼ばれる洋犬なども描かれている。
彩色をめぐっては、国会図書館で保管する資料に記された「緋袴(ひばかま 緋色=朱色に近い赤色)をはいた明治天皇」などの表現を参考にしたという。木村氏は赤色というと、イギリス王室が使用する深紅の”ロイヤル・レッド”と受け止めがちだが、実際は異なっていたのではないかとみる。幕末以前は植物油が原料の染料で描かれているが、明治時代に入ると赤絵という化学染料が入ってきたが、この絵巻は有職故実を含めて忠実に色彩を表現した。
仁和寺のモノクロの絵巻は彩色によって鮮明になり、フルカラーとなって寄進された。瀬川大秀(せがわ・たいしゅう)門跡は「純仁法親王は還俗、出陣の際は国家安泰、人々の幸せを願い、祈りの力で出陣したのではないか。当時の様子を知り、戊辰戦争で亡くなった犠牲者のことを考えるきっかけにしてほしい」と話した。また吉田正裕(しょうゆう)執事長は「仁和寺の初代門跡・宇多天皇は祈りと、優雅で繊細な国風文化への高い意識があり、それが歴代の門跡に受け継がれてきた。歴史や文化を次世代に伝えようとする私たちの思いが、こうしたデジタル化に表れている」と意義を語った。