比叡山延暦寺(滋賀県大津市)を織田信長軍が攻めた焼き討ちから450年の節目となる今年、延暦寺の国宝殿では特別展「戦国と比叡~信長の焼き討ちから比叡復興へ~」が開かれている。12月5日まで(11月1日~後期展示)。
1571(元亀2)年9月12日、浅井・朝倉連合軍と組んだ延暦寺を、織田信長が大軍で攻め立てた。延暦寺は、平安末期から寺院の勢力拡大に伴い武装化を進め、信長と対立していた。そこで信長は家臣の明智光秀らに焼き打ちを命じ、総本堂の根本中堂(こんぽんちゅうどう)などが焼失、僧侶や民衆ら数千人が犠牲になったとされる。
1571(元亀2年)に起きた焼き討ち。その13年後、1584(天正12)年に豊臣秀吉により山門再興の許可が下され、復興事業が進められた。そして1642(寛永19年)・徳川家光の時代に根本中堂が再建される。
特別展では戦国時代から江戸時代の山門復興に関わる資料や文化財を通じ、これまで注目されることがなかった比叡山の動乱から復興までを紹介。
比叡山が焼かれる中、僧侶らが経典や仏像を持って逃げる場面を描く絵巻「降魔(ごうま)大師縁起」(江戸時代・展示は前期のもみ)や、焼き打ちで被災したと伝わる仏像も4体出品されている。黒焦げの痛々しい姿だが、元は四天王か十二神将の像だったという。
最大の目玉は、徳川家康の側近で、寛永寺(東京・上野)を創建、延暦寺根本中堂の再建(1642年)にも尽力した僧・天海(てんかい)に関する資料。天海のものと伝わる甲冑(かっちゅう)は展示の目玉。
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