「秋は、松茸より菊。菊を食べずして秋は感じない」
今年、没後1200年を迎えた比叡山の開祖・最澄が平安時代に唐から持ち帰ったと伝わる「坂本菊」。食用菊は日本各地で栽培されているが、坂本菊は直径約3センチの円内に散りばめられた32枚の花弁は筒の形をして、その先端は幾重にも広がる、立体的で繊細な”黄色の紋章”。皇室が菊紋を用いるようになったのは、最澄が菊花を桓武天皇に献上したから、との伝説もある。
薬用として日本に持ち帰ったこの菊は、比叡山延暦寺の門前町であり、最澄の生誕地である坂本地区(滋賀県大津市)で栽培されている。栽培には多大な労力が必要で、いったん栽培した農地は5年もの間は栽培することができないとされている。さらに水やりも絶やせない。また天候に左右されやすいデリケートさもあり、今では栽培する農家も数えるほど。生産者の高齢化も進む。
地元では約30年前、「絶滅させてはいけない」と坂本菊振興会が発足、菊を使った「菊御膳」を名物料理にしようと、比叡山の麓、明智光秀一族の菩提寺でもある西教寺(天台真盛宗・総本山 大津市坂本五丁目)で20年ほど前から提供を始めた。そして坂本菊の栽培は2016年、NPO法人・坂本菊会に受け継がれる。
ちなみに最澄は唐から茶の種も持ち帰ったとの言い伝えもある。種は比叡山麓に植えられたとされ、これが事実ならば、「日吉茶園」(大津市坂本三丁目)は現存する日本最古の茶園となる。
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