「秋は、松茸より菊。菊を食べずして秋は感じない」
![最澄が日本へ持ち帰ったとされる「坂本菊」32本の筒状の花弁が特徴](https://jocr.jp/raditopi/wp-content/uploads/2021/11/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E8%8F%8A%E2%91%A6-1-1024x768.jpg)
今年、没後1200年を迎えた比叡山の開祖・最澄が平安時代に唐から持ち帰ったと伝わる「坂本菊」。食用菊は日本各地で栽培されているが、坂本菊は直径約3センチの円内に散りばめられた32枚の花弁は筒の形をして、その先端は幾重にも広がる、立体的で繊細な”黄色の紋章”。皇室が菊紋を用いるようになったのは、最澄が菊花を桓武天皇に献上したから、との伝説もある。
![”幻の菊”希少価値が高い坂本菊 <※画像提供・NPO法人「坂本菊会」芝村貞喜さん>](https://jocr.jp/raditopi/wp-content/uploads/2021/11/-e1636970631794-1024x568.jpg)
![一面に広がる坂本菊 <※画像提供・NPO法人「坂本菊会」芝村貞喜さん>](https://jocr.jp/raditopi/wp-content/uploads/2021/11/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E8%8F%8A%E2%91%A0-1024x569.jpg)
薬用として日本に持ち帰ったこの菊は、比叡山延暦寺の門前町であり、最澄の生誕地である坂本地区(滋賀県大津市)で栽培されている。栽培には多大な労力が必要で、いったん栽培した農地は5年もの間は栽培することができないとされている。さらに水やりも絶やせない。また天候に左右されやすいデリケートさもあり、今では栽培する農家も数えるほど。生産者の高齢化も進む。
![幻の菊づくし「菊御膳」(滋賀県大津市 西教寺)](https://jocr.jp/raditopi/wp-content/uploads/2021/11/-e1636970689536-1024x691.jpg)
地元では約30年前、「絶滅させてはいけない」と坂本菊振興会が発足、菊を使った「菊御膳」を名物料理にしようと、比叡山の麓、明智光秀一族の菩提寺でもある西教寺(天台真盛宗・総本山 大津市坂本五丁目)で20年ほど前から提供を始めた。そして坂本菊の栽培は2016年、NPO法人・坂本菊会に受け継がれる。
![西教寺 比叡山延暦寺焼き討ちで焼失した後、明智光秀が寺の復興に尽力](https://jocr.jp/raditopi/wp-content/uploads/2021/11/%E8%A5%BF%E6%95%99%E5%AF%BA%E3%80%80%E9%96%80%EF%BC%88%E6%98%8E%E6%99%BA%E8%8F%A9%E6%8F%90%E5%AF%BA%EF%BC%89-1024x768.jpg)
![境内には光秀一族の墓がある](https://jocr.jp/raditopi/wp-content/uploads/2021/11/%E8%A5%BF%E6%95%99%E5%AF%BA%E3%80%80%E6%98%8E%E6%99%BA%E5%85%89%E7%A7%80%E4%B8%80%E6%97%8F%E3%81%AE%E5%A2%93-1024x768.jpg)
ちなみに最澄は唐から茶の種も持ち帰ったとの言い伝えもある。種は比叡山麓に植えられたとされ、これが事実ならば、「日吉茶園」(大津市坂本三丁目)は現存する日本最古の茶園となる。
■『菊御膳』この道50年、京の寿司職人が腕を振るう