山崎さんと大学の同級生で、広島市安佐南区出身の鳥井麻帆さん(22)は、神戸で過ごした4年間、多くの写真を撮り、個展を開くまでになった。写真家への道を歩もうとする鳥井さんは、コロナ禍での生活で”表現する・発信する”難しさを感じていた。2人は知り合って4年、これまで互いに『阪神・淡路大震災』の話をすることはなかったが、同じ阪神・淡路大震災を知らない世代として山崎さんは、表現者としての鳥井さんに、何を思い、何を発信するべきなのか聞いた。
■知らないからこそ聞く勇気 次の世代に伝える言葉
鳥井さんが阪神・淡路大震災という言葉を初めて聞いたのは小学校時代。親類が関西出身だったのでその状況を聞いたことと、学校の授業で習った。阪神・淡路大震災を知らない世代にとっては街が清潔で、便利で多くの人が元気に過ごしているように見える神戸。
広島からやって来て間もないころ、ふと立ち寄った書店にあった阪神・淡路大震災の被災者の詩集。手に取ってページをめくり衝撃を受けた。幼い子ども『お母さん、僕全然怖くなかったよ』。母親の姿を見て、子どもなりに言葉を選んだのではないか、このやさしい言葉と強さに心が揺れたという。故郷・広島も多くの自然災害に遭っている。それだけに復興した神戸の街でゆったりと流れて行くこの時間を、まずはありがたく受け止めなければと思うようになった。
そして地元の人々が語る当時の話を聞き、今の神戸にはみじんも感じられないほどの傷跡が残っていることを感じるようになる。同時に、人が生きようとする強さに勇気をもらったいう。この時、東灘区の大学の寮を出て、下町の新開地界隈に移り住んだ。 もっと神戸の人を見つめたかったから。
神戸で最古といわれる(1948年・昭和23年創業)、新開地の純喫茶「エデン」。鳥井さんの住む家からほど近い。マスターが震災が起きた1995年1月17日・当日の様子を鳥井さんに語った。震災当時、新開地の人にコーヒーを入れ続けた。先代の店主は戦時中にも振る舞ったという。新開地周辺で長きにわたって商売を続けるさまざまな店も、温かいご飯を作り続けたことを聞いた。