《阪神・淡路大震災27年》ポスト震災世代は(1)「知りたいのは、ありのままの神戸」山崎綾莉さん・鳥井麻帆さん(1999年生まれ) | ラジトピ ラジオ関西トピックス

《阪神・淡路大震災27年》ポスト震災世代は(1)「知りたいのは、ありのままの神戸」山崎綾莉さん・鳥井麻帆さん(1999年生まれ)

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 震災当時、神戸・阪神間のあらゆる場所で炊き出しがあったことは、当時を知る人々にとって、まぶたを閉じれば浮かぶシーンなのだが、20歳前後の学生にとっては新鮮な話だった。商売そっちのけで奉仕する、人がつなぐ、人の和を感じたという。
 街が崩れ果てて、皆の心が折れかけた時、命の危機にさらされている瞬間にできるその行動と愛情が、どれだけ多くの人の心を救うのか。鳥井さんはどんな写真を撮り、何を伝えたいのか考えさせられた。

■伝える責任

 2019年4月、故郷・広島の原爆資料館がリニューアルされて感じたのは、小学生の時に見た原爆資料館とは全く違っていたことだった。改装される前は、やけどをして皮膚が垂れ下がったまま歩く親子らのろう人形「被爆再現人形」があった。それを見た子供のころ、夢に出てくるほど印象的だった。リニューアル後は、犠牲者の遺品や写真といった実物資料を中心に展示するコンセプト変更から撤去された。もちろん今も遺品などが展示され、当時のことは伝わるが、自分自身の心に突き刺さった印象的なものを見ることができないのではないかと悔やんだ。

原爆資料館の感想欄<画像提供・鳥井麻帆さん>
原爆資料館の感想欄<画像提供・鳥井麻帆さん>

 原爆投下から77年を迎える2022年、太平洋戦争はもちろん、被爆当時を語れる世代が極めて少なくなっている。戦後生まれの人口が全体の8割を超え、戦争が「記憶」から「歴史」へと変わりつつある。
 だからこそ、鳥井さんは出来事をありのままに表現しないと次の世代に伝わらないと考えるようになった。阪神・淡路大震災も、話を聞くだけでは限界があり、当事者でなくとも当時の苦しみや悲しさを残す努力をするべきだと思っている。

■自分らしく追求できるメディア

 鳥井さんは大学1年の時に写真論という授業を受け、写真の世界に惹かれた。大学生活のほとんどは写真と向き合っていたという。興味を持ってからはたくさんの写真集を見て、時間があれば多くの作品展に足を運んだ。写真を撮るときはその時の感情と瞬間を大事にしたいので、常に持ち歩けるコンパクトフィルムカメラを使用している。シャッターを押して瞬時にとらえる、その感動を誰かに伝えたいと思い、そうすることで自分が一番伝えたいものを伝えられると思うようになった。

グループ展示での鳥井麻帆さん 
グループ展示での鳥井麻帆さん 

■言葉だからこそ伝わるもの  見せる責任と伝える責任

 個展を開く時は写真だけを展示することはせず、必ず言葉を添えるようにしているという。今は誰でも簡単に綺麗に写真を撮ることができるし、美しく映っているかどうかで見られる部分がある。
 ある授業で「言語化」することの大切さを教えてもらったことで、自分の世界観を少しでも伝えられるものが言葉だと思うようになった。個展では訪れた人に感想を書いてもらっている。その中で一番印象に残ったのが「真実を見る目を曇らせないでね」という言葉だった。自然と涙が出たという。 見せる写真を撮ることは永遠に責任が伴う。今後、写真を撮り続ける中で、どこまでも被災者の悲しみに寄り添える勇気を持つことを大事にしたいと思うようになった。この言葉、母からの愛あるメッセージだった。

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