近代における「ウクライナ」の歩み ロシアによる侵攻 ~ウクライナをNATOに加入させたくないロシア~ | ラジトピ ラジオ関西トピックス

近代における「ウクライナ」の歩み ロシアによる侵攻 ~ウクライナをNATOに加入させたくないロシア~

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「兵庫・神戸のヒストリアン」田辺眞人のラジオレクチャー。ロシアの「ウクライナ侵攻」を受け、今回は、近代における「ウクライナ」の歩みなどを紐解きます。

ウクライナ周辺地図

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 今から1000年ほど前以降、現在のウクライナの場所に、キエフ大公国が発展します。この人々が、古い時代にはルス族と呼ばれ、ルス族がいた土地なので語尾に「IA」を付けて、「ルスイア」→「ルーシ」や「ロシア」と呼ばれるようになりました。

 第一次世界大戦中の1917年にロシア革命が起こり、誕生したソビエト連邦(以下、ソ連)が、やがてウクライナなどを攻略。ソ連の領土にしてしまいました。第二次世界大戦後に独立はしたもののソ連の属国だったウクライナは、1991年のソ連崩壊で、ようやく完全な独立国になり、西側世界とも東側世界とも密着しない中立を貫いてきました。

 一方、世界では、第二次世界大戦後、チェコ、ポーランド、ハンガリーなどを共産主義下に取り込むソ連に対抗するため、フランス、イタリア、イギリスなどが、「我々の国が攻撃されたら一緒に戦おう」と、大西洋の北部の軍艦の上で北大西洋条約を結びます。その加盟国が1949年に組織を作り、ベルギーのブリュッセルに本部を置いたのが、「北大西洋条約機構(NATO)」です。

NATOの旗

 ソ連もこれに対抗。支配下の国々と1955年ポーランドでワルシャワ条約を結びます。そこに加盟した国々が作った組織が、モスクワに本部を置いた「ワルシャワ条約機構」です。

 こうして、1950年頃からヨーロッパは、北大西洋条約機構とワルシャワ条約機構の2大軍事同盟に分かれていったのです。

 ところが、1991年にソ連が崩壊し、冷戦が終わるとワルシャワ条約機構は解散。所属していた国々は、後に次第に北大西洋条約機構へ加盟していきます。1999年に、チェコ、ハンガリー、ポーランドが。その後5年以内にエストニア、リトアニア、ラトビアのバルト三国が、またブルガリア、スロベニア、スロバキアまでもが加わりました。さらに2000年代にも増え、設立時に12ヵ国だった加盟国は、現在30ヵ国になっています。(※1)

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田辺眞人のまっこと!ラジオ | ラジオ関西 | 2022/02/25/金 15:00-16:00

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