「最初は社内から白い目で見られた」というメンズハットも10周年を迎えた。今では、ヴィッセル神戸などで活躍した元Jリーガーで現在はタレントとして活躍する近藤岳登と、セレクトショップとのコラボの帽子も製作。販売会は大盛況だったようだ。
そんなマキシンにとっての大きなピンチは2度訪れた。1度目は阪神・淡路大震災。会社は半壊、窓ガラスも割れた。そんな中、航空会社の新入社員の帽子4000個の納品が同年3月に迫っていた。1月17日に震災にあった後、約1週間後には急ピッチで生産できる体制へ。帽子を蒸す制作作業には、部署関係なく社員全員でこなし、なんとか4000個の帽子の納期を間に合わせることができた。
2度目は新型コロナウイルス感染拡大。帽子の取引先は百貨店が多く、一昨年の緊急事態宣言の際には百貨店が休業。納品先がなくなり販売もできない状態になった。「主軸の帽子なくしてどうやって食べていくのだろう」と頭を悩ませた柳さんだったが、当時、社会現象にもなった、マスクを求めて長蛇の列をなす『マスク不足』が転機となった。
「マスクを社内で制作できないかというアイデアを出したところ、マスクの材料が、生地、ゴム、ワイヤー等、帽子に使うものでまかなえたんです。他に必要な特殊な素材も入手できる取引先があって。でも、マスクを作るのは初めてだったので、ゼロからサンプルを作って試行錯誤しながら進めました」
自社サイトでマスクの販売を開始。帽子職人が作るハンドメイドの商品で、1枚3000円と高価なマスクだったが、北海道から沖縄まで全国から注文があった。
「初めてマスクという新しいアイテムを作ったことで、職人さんの意識が変わったんです。帽子って完売することが今までなくて……。百貨店で販売していた帽子は、売れずにシーズンが終わると返品されることがあります。せっかく一つひとつ作ったものなのに、その在庫を職人さんが見てしまう。ストレスですよね。だけどマスクは毎週作って、その週に販売、完売。創業80年で初めて成功体験を味わえたんですよね」
さらに、マスクだけでなく、カプセルトイにも進出。実際に販売している帽子のミニチュアとそれをかぶせるマネキン、帽子の箱がセットになっている、愛らしいものだ。
「コロナになってカプセルトイを作っているメーカーさんも20社から40社にすごく増えて。うちの会社でもできないかなと思い始めました。全国で販売し、数万個販売しました。売り切れ続出で追加販売も予定しているんです」