売れるために仕方なく? ミュージシャンと事務所、レコード会社の軋轢の中で花開いた1980年代のアイドルバンド文化について、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が紹介します。
【中将タカノリ(以下「中将」)】 日本でバンドが本格的にアイドル化したのは1960年代後半のグループサウンズブーム。以降そのスタイルは進化を続け、80年代に至っていよいよ“アイドルバンド”という日本独自の音楽文化として確立された感があります。
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 そういう流れがあったんですね。
【中将】 80年代アイドルバンドの代表格と言えば、やはりチェッカーズでしょうか。もともと、福岡県久留米市で結成されたロックンロールバンドでしたが、ヤマハが主催したコンテストで最優秀賞を受賞したのを期に、1983年にデビュー。独特のヘアスタイルとチェックの奇抜な衣装、そして藤井フミヤさんのルックスが話題になって、1984年にリリースした「ジュリアに傷心(ハートブレイク)」は1985年のオリコン年間ランキング1位になりました。同年にはブロマイドの年間売上実績も1位になっています。
【橋本】 当時のフミヤさんはショタコンが喜びそうな独特のかわいらしさがありますよね! 今でもカッコいい方だと思います。
【中将】 音楽的才能を持ちながらルックスや売り出し方はアイドルというのが、ファンにはたまらなかったんでしょうね。
チェッカーズに近い路線で、C-C-Bも当時を代表するアイドルバンドです。ブレイクのきっかけになった「Romanticが止まらない」(1985)は今でも世代を超えて有名な曲だと思います。
【橋本】 カラフルな髪形とドラムを叩きながら歌ってるのが印象的ですよね。でもテレビの過去のヒット曲を振り返る番組などで知っている程度なので、C-C-Bがアイドル的な存在だったとは思いませんでした……。
【中将】 今は皆さん、太ったりおじさんっぽくなっていますが、昔はアイドルだったんですよ(笑)。しかも音楽的な才能も高く、ギター・ボーカルの関口誠人さんは1987年の脱退後、中森明菜「二人静 -『天河伝説殺人事件』より」などを手掛ける作曲家として活躍しました。関口さんが抜けた後のC-C-Bも1989年の解散までシングルヒットを出し続けます。