大阪発のグルメとして真っ先に出てくる食べ物といえば「たこ焼き」。「大阪では、各家庭で1台はたこ焼き器を持っている」という噂がまことしやかにささやかれるほど、大阪で根付いていますが、その原型となった「ラヂオ焼き」という食べ物はご存知でしょうか?
圧倒的な知名度を誇るたこ焼きに比べると、ラヂオ焼きという名前は「初めて聞いた」という人も多いはず。
そこで、関西を中心にたこ焼き・ラヂオ焼きのお店を展開する「会津屋」(大阪市西成区)の3代目・遠藤勝さんに、ラヂオ焼きの始まりや名前の由来、たこ焼きへの発展の歴史などについて聞きました。
「会津屋」は、遠藤さんの祖父・留吉さんが、1933年(昭和8年)に大阪・東成区の今里ではじめたお店です。店名の『会津』は、留吉さんの出身地が福島県会津坂下町であることからだそう。
今里といえば、当時から居酒屋などが立ち並ぶ繁華街として賑わっていた地域。そんな、お酒や飲み屋が盛んなエリアで商売をするにあたって、留吉さんが目を付けたのが「ラヂオ焼き(ラジューム焼き)」でした。
小麦粉で作った生地に牛すじなどの具を入れて焼いた食べ物で、当時は、どちらかというと子どものおやつとして親しまれていたそうです。
「その頃は、お酒を飲んだあとは家族への『おみやげ』を買って帰宅するというのが定番の流れでした。電子レンジも無かった時代なので、冷めてもおいしく、片手で食べられる『ラヂオ焼き』なら、おみやげとして売れるのではという考えがあったそうです」(遠藤さん)
「ラヂオ焼き」「ラジューム焼き」という名前はどこからきているのでしょうか?