昭和の大阪の味「ラヂオ焼き」 たこ焼きの原型 平成半ば70年ぶりに復刻 発展の裏に「明石焼き」の存在 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

昭和の大阪の味「ラヂオ焼き」 たこ焼きの原型 平成半ば70年ぶりに復刻 発展の裏に「明石焼き」の存在

LINEで送る

この記事の写真を見る(4枚)

 遠藤さんよると、当時流行していた「ラヂオ(ラジオ)」や「ラジウム温泉(※1)」から取ったとのこと。つまり、それらと並んで「ハイカラな」食べ物という意味が込められていたというわけです。

「ラヂオ焼きには決まった素材が無く、牛すじや豆、ネギやこんにゃくなどさまざまな食材を入れて焼いていました。なので、たこ焼きの原形といいつつも、コンセプトでいうとお好み焼きにも近いかもしれません」(遠藤さん)

 孫の遠藤さんから見ても研究熱心だったという留吉さんは、その頃も「よりおいしい具材はないか」と、試行錯誤していたそう。そんなある日、お客さんから「明石ではタコを入れている」という情報を仕入れます。それが、今も兵庫県・明石の名物として愛される「明石焼き(※2)」でした。

 焼き方や生地など、ラヂオ焼きとは似て非なる明石焼きですが、お客さんの言葉が気になった留吉さんは、試しに“たこ”を入れたラヂオ焼きを販売。すると「ラヂオ焼きのたこ入りちょうだい!」と、あっという間に人気商品に。そこで、1935年(昭和10年)には正式に「たこ焼き」という商品名で売り出すようになりました。

手でつまむことができる小ぶりなたこ焼き(提供=会津屋)

「それ以降は、主にたこ焼きを売っていたんですが、『たこ焼きの原型』ということでマスコミに取り上げられる機会が増え、お客さんからも『食べてみたい』という声が上がるようになりました。そこで、2005年(平成17年)に約70年ぶりに復刻したのが『元祖ラヂオ焼き』です」(遠藤さん)

 現在定着しているたこ焼きは、当時、最先端のグルメだったラヂオ焼きからはじまり、お隣の兵庫県で流行っていた明石焼きの要素を取り入れて発展を遂げたことが分かりました。

 ところで、生みの親である会津屋さんはここまでの広がりを見せることは予測していたのでしょうか?

「戦時中は店を閉めていることも多かったこともあり細々と売っていたんですが、戦後に店を再開すると、そこから一気に広がったようです。こんなに有名になるなら『特許を取っていれば……』と思ったこともありました(笑)。でも、そうしていたなら“たこ焼き”という文化はここまで広がらなかったでしょうね。今となっては(これで)よかったのではと思います」(遠藤さん)

 会津屋のたこ焼きは、一口で食べられるサイズが特徴的。さらに、ソースやマヨネーズ、青のりや紅しょうがなどのトッピングは一切かかっておらず、たこやダシの旨み、生地の食感を味わえる作りになっています。これも「ビール片手につまめるように」という創業当初のコンセプトを今でも守っているからなんだとか。

LINEで送る

関連記事