八丈島で、咸臨丸の航跡を見つけた。近藤富蔵著「八丈実記」に、「無人島開拓として八丈中之郷年寄・菊池作次郎、同島勘次郎、船水主松之助、徳蔵、銭五郎、岩松の6名が咸臨丸に乗り込む」とあり、御軍艦組頭取小野友五郎、中浜万次郎ほかの名も。こうした詳細な記録が書籍に残されていた。
また、咸臨丸の小笠原航海は幕府の命により大掛かりに行われ、咸臨丸の他にも数隻が加わったという。
そしてサザンクロス号は本州へ。遠くの富士山が私たちを出迎えてくれているように見えた。静岡県の清水港(富士山羽衣マリーナ)に寄港。新政府軍の手にかかった咸臨丸の乗組員を清水の次郎長が手厚く葬り壮士墓を建立。「次郎長翁を知る会」の皆さんと共に墓石に手を合わせひと時の交流を楽しんだ。
静岡県・清水を後にして下田港。そして相模湾から東へ向かい城ケ崎や剣崎を超え、観音崎の手前にある、咸臨丸が修理を行いサンフランシスコに向けて出航した浦賀港(シティマリーナベラシス)に到着。「咸臨丸子孫の会」の皆さんが出迎えた。
その後、東京夢の島マリーナを経て東日本へと北上、復興半ばの宮城県石巻、三陸沖から下北半島の大間港を経て北海道へ。函館港にいったん寄港して、最終目的地の木古内へ到達したのは2022年6月28日だった。
「海と共存する」というのは、好むと好まざるも自然を受け入れるということ。航行時は昼夜交代で操船と見張りをしている。同じように見える海も、日々、様相が変化していることを改めて感じた60日間の航海だった。
折しも、私たちより一足早く、海洋冒険家・堀江謙一さんがサンフランシスコを出航して、世界最高齢の83歳でヨットによる太平洋単独無寄港横断(69日間)を達成した。このことも私たちにとって大きな励みになっていた。
堀江さんは「夢を夢とせず」という信念を貫き、60年前とは逆コースで新西宮ヨットハーバーへ帰還したが、ただ気合や根性だけではない、海の優しさと怖さの両面を感じながら、ご自身と向き合っていたのだと改めて思う。
私たちの「咸臨丸160年プロジェクト・海わたる風~KANRIN-MARU~」。コロナ禍で、大きく減速して踏みとどまった時期もあったが、帆をしっかり広げて確実に進むことができた。
メンバーの本望は、当時の咸臨丸に思いをはせ、サンフランシスコまでの航海。この夢は来年以降に叶えたい。
《総航海距離~1,295マイル(約2,400㎞)》
大阪、和歌山マリーナシティ、すさみ港、八丈島八重根港、真鶴港、清水港、下田港、浦賀ベラシス、東京夢の島マリーナ、保田港、房総勝浦港、宮城寒風沢港、石巻港、金華山港、青森大間港、函館港、木古内港