《明石歩道橋事故21年》「遺族はあきらめない」真相解明・再発防止願い、遺族ら有志が出版 21年の歩み記す | ラジトピ ラジオ関西トピックス

《明石歩道橋事故21年》「遺族はあきらめない」真相解明・再発防止願い、遺族ら有志が出版 21年の歩み記す

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白井義道さん「これは事故ではなく“事件”」

 白井さんは「この事故は、『事件』なんです」と訴える。その理由は「事故の根本的な原因が、単なる個人の過失ではなく、警察が最優先すべきだった“市民の生命を守る”という責務を怠ったから」と話す。
 当時の兵庫県警にとって、大蔵海岸付近での暴走族対策は重要課題だったことは確かだったが、これに気を取られ、雑踏警備対策がおろそかになったとの指摘もあった。白井さんはこうした事実関係を踏まえて「単に署長や副署長の処罰を求めたのではなく、刑事裁判で真相の解明と再発防止のためだった。遺族に時効はないから」と振り返る。

有馬正春さん「事故は誰もが遭遇する可能性がある」

 当時9歳の長女と7歳の長男を亡くした有馬正春さんは、「ひとりふたりでは本の作成はできない。また記憶がしっかり残っているうちにとの考えもあり、多くの関係者が寄稿した」と話す。 出来あがった本を手に「安全がすべてに優先するのだという考え方は、いつになっても変わらない」と確信している。そのうえで「私たちは事故が起きるまで、ごく一般の市民だった。理不尽にもこの事故に遭い、生活が一変してしまった。こうした事故は誰もが遭遇する可能性がある。一般の方々も手に取って、事故を知ってもらいたい」と願う。

(左から)遺族の有馬正春さん・佐藤健宗弁護士・白井義道さん

■「過去の雑踏事故、経験生かされず」

 JR福知山線脱線事故の遺族代理人や、信楽高原鉄道の遺族が結成した「鉄道安全推進会議(TASK)」の事務局長を務め、歩道橋事故の遺族とも歩んできた佐藤健宗弁護士は、「起きるべくして起きた事故、ということは、防ぐことができたということだ」と話す。「裁判の本当の相手は、いったい誰だったのかと思う。歩道橋事故は、これまで(事故発生まで)30回以上も安全に開催されてきたという慢心と、事故の予兆が何度も現れながら、暴走族対策にこだわり続けたという組織全体のリスクに対する鈍感が重なった」と分析する。

 雑踏での事故については、戦後、1954(昭和29)年に皇居・一般参賀で起きた二重橋事件をはじめ、1956(昭和31)年に新潟県・弥彦神社で124人が犠牲となり、刑事裁判にまで発展するなど不幸にも繰り返し起きている。
佐藤弁護士は「その都度、警察当局が向き合わねばならない課題だったにもかかわらず、なぜこの(明石歩道橋)事故が起きたのか」という疑問を呈している。


 

 事故の遺族弁護団・代表で、2022年6月に他界した渡部吉泰弁護士も寄稿、「あの事故は、基本的な雑踏警備さえ忠実に行われていれば防げた」と述べ、1985(昭和60)年の日航ジャンボ機墜落事故・被災者家族の会事務局長の美谷島邦子さんは「事故調査と被害者支援は車の両輪」と述べ、「(明石歩道橋事故についても)被害者が真相を求め再発防止を願う時、実名で発言できる社会であってほしい」と訴えかけている。

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