【橋本】 作曲家の人もできあがりを聴いてびっくりしたでしょうね(笑)。
【中将】 こんな感じのロックと歌謡曲のせめぎあいがグループサウンズの一つの魅力だと思っています。でも当時の10代やハタチそこそこのファンたちにはミュージシャンが求める音楽性はあんまり理解できなかったようです。時を経るにつれ作家が作った歌謡曲風の楽曲ばかりが売れるようになって、グループサウンズの音楽的な特徴は失われていきます。オックスが1968年12月にリリースした「スワンの涙」なんて間奏でセリフまで入っちゃう(笑)。
【橋本】 なるほど……これは私は「グループサウンズだ」と言われなければ気が付かないですね。
【中将】 “かわいらしい男の子たちが歌っていればなんでもグループサウンズ”みたいな風潮が本来のグループサウンズの魅力を損ねてしまったのか、1969年に入ると急速にブームはしぼんでいきます。
【橋本】 ブームは5年も続かなかったんですね……。
【中将】 でもグループサウンズで世に出たミュージシャンたちは1970年代、1980年代の音楽シーンや芸能界を支えるスター、プロデューサーになり現在まで大きな影響を残しています。オックスでボーカルを務めた野口ヒデトさんは1970年代に真木ひでとに改名して演歌歌手として大成されますし、ほかにもザ・タイガースからは沢田研二さんや岸部一徳さん、ザ・スパイダースからはかまやつひろしさんや堺正章さん、井上順さん、ブルー・コメッツからは井上大輔さん、ザ・テンプターズからは萩原健一さん……という具合に。そう考えるとグループサウンズって日本の音楽、芸能の歴史を考える上で大きなターニングポイントなんですね。
(※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』2022年8月28日放送回より)