引退表明の泉房穂・明石市長「市民からの多大な支持、その半面で議会との感情的対立……積もり積もった怒りが暴言に」 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

引退表明の泉房穂・明石市長「市民からの多大な支持、その半面で議会との感情的対立……積もり積もった怒りが暴言に」

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■自治体初、旧優生保護法・被害者支援条例成立が大きな転機に

「子どものころから明石市長になりたかった。冷たい街・明石から、住みたい街・明石にするべく走ってきたが、当初から政界の先輩からは『政策を実行に移すのは10年がメド』と言われていた。3期12年でできないことを4期目以上で実現するのは極めて難しい、という考え方が軸にあった。一方で、市民から『幼い子どもが大きくなるまで市長でいてほしい』とのメッセージも届く。そのはざまで、明石市政をいつ、誰に引き継ぐかというテーマは、心の中にずっとあった」と話した。

 泉市長は2019年4月の出直し選挙に圧勝し、3期目に入って1か月経ったころ、ラジオ関西の取材に「せっかくの施策も、明石市だけで完結するのはもったいない。何とか全国に波及する構造に出来ないものか」ともどかしい思いを口にした。

 その頃から「自分が市長でなくても発展する明石の街を作りたい」と考えるようになっていた。

優生保護法・救済条例成立「市民の声で勝ち取った条例。明石の市民と街が、可決へ向かわせた」聴覚障がいを持つ夫妻と喜びを分かち合う泉市長<2021年12月21日>

 そして、2021年12月21日に全国で初めて自治体として「旧優生保護法・被害者支援条例」が成立した時に、“明石から始める”ではなく、”明石から広げる”という考え方になったという。ツイッターを始めたのはこの時だ。明石市をモデルケースとして、全国あらゆる自治体を変えていこうという気持ちが大きくなっていった。

 泉市長はこうした思いを「明石市長1人が頑張るのではなく、同じような市長(首長)を10人、100人と作っていくことが重要だ」と表現した。

■暴言に対する責任・市民に対する責任

 会見で2つの責任を挙げた泉市長。「市議2人への暴言については、私自身に(怒りの)スイッチが入ってしまい、『ええ加減にせえよ』という意味合いだったが、怒りに任せてしまった。この件は政治家の道を退くことで責任を取るべき」と述べた。

 ただ市民に対しては、暴言問題で2019年2月に辞任した時とニュアンスが異なり「ただちに辞任ということではなく、任期が満了するまで責任を持って市長の仕事をまっとうすることと、退任後も子育て施策に魅力を感じて、明石市へ移住した方々の期待を裏切らないような人材にバトンタッチしたい」と力を込めた。

 政界引退を決断したのは10月10日。ごく親しい支援者20人には11日夜、電話で伝えたという。

 任期は残すところ半年。「明石市長として精一杯やって来た。まだ59歳。今度は全国を飛び回って明石市のような街づくりを進めたい」と気を引き締めた。

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