国葬令の3条第1項によれば、「国家に偉勳ある者」は「特旨に依り国葬を賜ふこと」があるとされている。
偉勳(=偉勲・いくん)とは、立派な手柄や功績のことを意味し、特旨とは天皇陛下の特別な思し召しのこと。同条2項では「前項の特旨は勅書をもってし内閣総理大臣これを公告す」と規定されている。
すなわち、天皇が「勅書(ちょくしょ)」という形で文書にして、首相がこれを公告するという手続きを取っていた。
国葬令は、あくまでも大日本帝国憲法下の法令であり、当時の主権者は天皇陛下だった。
これを日本国憲法に照らし、国民主権との対比で置き換えてみると、まず、帝国憲法下の「天皇陛下の思し召し」は、現在の憲法下では「主権を持つ国民の意思」に該当する。
そうすると、国民主権を具現化した存在が「国会」になる。このため、国会において審議のうえ議決されてはじめて「特旨」が成立することになる。
帝国憲法下では、天皇陛下自らの思し召しにより「偉勲」を認める場合のほか、内閣が「偉勲」ある者を奏上して、天皇陛下から「特旨」を頂戴する場合もあっただろう。
それならば、現在の憲法下でも、国会そのものによる発議のみならず、内閣が国会に提案して議決を得ることも手続的には可能だ。
■早すぎた「国葬」開催表明
いずれにせよ「国葬」の本来的な制度趣旨に照らせば、国民の意思(=国会の議決)に基づき、国家を挙げて実施されるものでなければ意味がない。
ところが、衝撃的な事件により命を落とした安倍元首相に対する国民感情の一時的な高まりを目の当たりにして、党内の最大派閥に対する「忖度」もあってか、「国葬」を執り行うことの意義をしっかり検討することもしないまま、銃撃事件6日後の7月14日、極めて速い段階で岸田首相は「国葬」という言葉を口にしてしまった。
そして、「閣議決定のみで実施可能だ」などとする内閣法制局の誤った法解釈を踏まえて「国葬」の実施に向けてヒートアップし、その後、安倍元首相のみならず政治家と旧統一教会との関係性が明るみに出て内閣支持率が下降線をたどっても、最早「撤退の道」を選択することが出来ず、ここまで突っ走ったのが実情なのではないか。
結局、今回の「国葬」の決定過程では、国会における議決はもちろん、審議さえなかった。閉会中審査でお茶を濁してしまったという印象すらある。このように国会を軽視することは、国民をないがしろにすることに等しい。
■国会での審議を踏まえていたら…
岸田首相は「国として葬儀を執り行うことで安倍氏を追悼するとともに、わが国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く決意を示していく」と述べた。
民主主義を断固として守り抜く決意と言いながら、明らかに国会を軽視したことに、齟齬(そご)が生じてしまったように思う。適正な手続を大切にしない政権・為政者は、結局のところ結論を誤ってしまう。時間をかけて国会での審議を実施していれば、そのうち岸田内閣支持率の低下に気付き、方針の修正も出来たのではないか。