阪神・淡路大震災から28年。
震災の翌年に生まれた曽我笑夢(そが・えむ)さん(神戸市北区在住)は、あの惨状を想像することができない。
神戸の玄関口・三宮で進む再開発事業を見れば、「復興」という言葉を聞いても実感が湧かない。震災は、家族から聞く話や学校の授業で、間接的に接するに過ぎなかった。
曽我さんが生まれた1996年、神戸・三宮の「そごう神戸店」(現・神戸阪急)が、1年3か月ぶりに全面再開。2年ぶりの神戸まつりは夏に開催された。プロ野球・オリックスブルーウェーブ(当時・現オリックスバファローズ)が読売巨人軍を破り、悲願の日本一に。忘れられないのは、ユニホームに刻まれた「がんばろうKOBE」の文字。復興へ一歩踏み出した。曽我さんはその年の大みそかに産声をあげた。
一夜明けて1997年は、元町の「大丸神戸店」が2年2か月ぶりに再開され、そごうに続き神戸都心の百貨店が復興する。そして北野異人館「風見鶏の館」の復旧工事が完了、JR六甲道駅(神戸市灘区)や新長田駅(同長田区)周辺の再開発の着工と、急ピッチで都市のフレームを取り戻していく。
そんな神戸の街、今でもところどころで残る震災の爪痕を目にして、幼いころ、教科書でみた写真と結びつく瞬間がある。曽我さんが「怖さ」を体感する一瞬だという。そして、「自然には逆らえない」という漠然とした気持ちと、「震災や災害で大切な人を失ってしまったらどうしよう」という不安が交錯する。