有馬温泉の一晴さんに聞く「芸妓の今」 実は“一見さんOK” Zoomやカフェ展開 白塗りには悩みも | ラジトピ ラジオ関西トピックス

有馬温泉の一晴さんに聞く「芸妓の今」 実は“一見さんOK” Zoomやカフェ展開 白塗りには悩みも

LINEで送る

この記事の写真を見る(10枚)

 古くから、唄や踊り、お囃子(おはやし)などで宴席を盛り上げる芸妓。花街があることで知られる京都以外にも、石川県金沢市や愛媛県松山市など、日本各地の温泉街でその伝統は継承されています。そんな中で、日本の最古泉といわれる兵庫県神戸市の有馬温泉でも、芸妓が活躍していることをご存知でしょうか? 有馬芸妓・一晴(いちはる)さんに聞きました。

日本三古湯の一つ、有馬温泉で活躍する有馬芸妓
日本三古湯の一つ、有馬温泉で活躍する有馬芸妓(左から2人目が一晴さん)

 有馬芸妓の起源は室町時代から鎌倉時代。温泉客の誘導などをおこなう女性“湯女(ゆな)”がはじまりといわれています。

 有馬の湯女は、現在でいう国家公務員のような存在だったそうで、かつては、時の天下人・豊臣秀吉から禄高(ろくだか、給与のようなもの)を与えられていたことも。また、1596年に起きた慶長伏見の大震災で有馬温泉が壊滅した際には、秀吉が復興策の一つとして有馬の湯女に報酬を与え、その制度は徳川三代まで続いたという史料が残っています。

そして1883(明治16)年、温泉浴場を洋館に建て替えた際に”湯女”の呼び名が廃止され、湯女はお座敷などで宴会を盛り上げる「芸妓」となっていきました。1960年代の最盛期には、150人ほどの有馬芸妓が活動していたといいます。

かつては国家公務員のような存在だったという有馬芸妓(昭和30年代に撮影)
かつては国家公務員のような存在だったという有馬芸妓(昭和30年代に撮影)
踊りを披露する有馬芸妓(昭和30年代に撮影)
踊りを披露する有馬芸妓(昭和30年代に撮影)

 兵庫県・尼崎市出身の一晴さんは、学生時代には英語を専攻。1992年に起こった阪神・淡路大震災をきっかけに家族全員で神戸に引っ越し、家族で有馬温泉を訪れた際に有馬芸妓の存在を知りました。その後、知人の紹介を経て大学卒業後に芸妓として置屋に入り、現在も有馬芸妓として活躍しています。

有馬芸妓・一晴(いちはる)さん
有馬芸妓・一晴(いちはる)さん

 普段は、旅館でのお見送りやチェックインの際の挨拶、お座敷での踊りや唄の披露のほか、8年前にオープンした「芸妓カフェ 一糸(いと)」でも活躍。一糸は、敷居の高いイメージを持たれがちなお座敷遊びを誰でも気軽に楽しめる場所とあって、国内外の観光客から人気なのだとか。

気軽に芸妓と触れ合える「芸妓カフェ 一糸(いと)」
気軽に芸妓と触れ合える「芸妓カフェ 一糸(いと)」
芸妓カフェでの、お座敷遊びの様子
芸妓カフェでの、お座敷遊びの様子

 一晴さんによると、お座敷に有馬芸妓を呼ぶのは「普通の人」。男性の場合も女性の場合もあり、ときには夫婦客からお呼びがかかることもあるといいます。じつは、有馬芸妓の特徴の一つは、一見さんお断りではないということ。有馬温泉街の芸妓たちの所属事務所にあたる「置屋(おきや)」や、いわゆる派遣事務所である「有馬検番」を通じて、初めての人でも有馬芸妓をお座敷に呼ぶことができるそうです。

お座敷で舞を披露する有馬芸妓
お座敷で舞を披露する有馬芸妓
場が華やぐお座敷遊び
場が華やぐお座敷遊び
LINEで送る

関連記事