兵庫・西播磨に「山城」が多数存在したワケ かつては130以上 “復活プロジェクト”では御城印も | ラジトピ ラジオ関西トピックス

兵庫・西播磨に「山城」が多数存在したワケ かつては130以上 “復活プロジェクト”では御城印も

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 地上から見上げたところにそびえる山城。兵庫県南西部に位置し、東西43キロ、南北67キロに広がる西播磨地域でには、かつて130以上もの山城が築かれたとされています。なぜ西播磨地域に山城が数多く存在するのか。その歴史から、山城の魅力やロマンをひも解きます。

兵庫・西播磨の山城『有年山城』山頂付近からの景色(赤穂市)
兵庫・西播磨の山城『有年山城』山頂付近からの景色(赤穂市)

 そもそも山城とはどういった存在なのでしょうか。姫路城(兵庫県姫路市)や大阪城といった近世の城郭と何が違うのでしょうか。

 立派な天守を誇る近世の城郭は、大きな堀に水を溜め、城主の権力を誇示する意味を持ち合わせます。それに対し山城は、“戦う”ための、いわゆる軍事施設です。主に南北朝から戦国時代にかけて増え始め、険しい野山の地理を生かして巧みに造られました。乱世だからこそ生まれたもので、築城数は全国で3万から4万とも言われています。

 そんな山城が西播磨地域に多い理由は、日本という国の形にあります。古今東西、人や物が行き交う要所には商売が栄えます。そして、商売が栄えるからこそ、時に争いの火種となってきました。戦いが勃発し、道を塞いだり、物流をコントロールしたり、監視を行ったりする際、山城は戦略上で有利になる条件がそろいます。そのため、西播磨に山城が多かったと考えられるのです。

 また、古代、播磨国は畿内に近く、幹線道路である「山陽道」も通っている大国で、独自の勢力を持っていました。そして、争いが勃発した際には、必ずといっていいほどその舞台になってきた地域です。戦いが増えれば城も増える。切っても切り離せない関係です。それらのことから、西播磨地域には山城が多いと推察されます。

 こういった歴史を知った上で、実際に山に登って山城跡に触れると、一般的な登山とは違った魅力を感じられそうです。

 また、西播磨地域では現在、「西播磨山城復活プロジェクト」の一環として、山城をもっと広く周知しようと御城印の販売も行っています。またスマートフォン用のARアプリ『西播磨の山城へGO』も配信中。AR機能を使って、スマホ画面に立体的な山城を表示することができます。

「西播磨山城復活プロジェクト」御城印
「西播磨山城復活プロジェクト」御城印

 歴史を感じながら、中世の武将が見た山城からの絶景を見たり、最新機能を使って手元に山城を再現したりするのは、現代だからこそのゆったりとした時間の過ごし方かもしれません。

【参考資料】中世城郭研究家・木内内則氏談、「西播磨の山城」ホームページ

※『谷五郎の笑って暮らそう』「ぐるっと西播磨」2023年2月放送回より

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3月21日(火・祝)の「ぐるっと西播磨」は、この1年間山城の魅力を伝えてきた山崎整さんと谷五郎さんの二人による、印象深かった山城の紹介です。ぜひ、お聞きください。

番組パーソナリティの谷五郎 有年山城にて
番組パーソナリティの谷五郎 有年山城にて
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