鉄道を敷いて沿線を開発し、郊外の住宅に住み、百貨店でショッピングをして、演劇や映画を楽しむ……関西が生んだ偉大な実業家・小林一三は、阪急電鉄をはじめとする阪急・東宝グループの創始者。今年(2023年)、生誕150年を迎えた。
小林一三(雅号・逸翁)による美術品コレクションを所蔵する阪急文化財団・逸翁美術館(大阪府池田市)では2023年度、生誕150周年を記念して、その功績を振り返る展覧会を、4回シリーズでロングラン開催する。第1弾は 「阪急昭和モダン図鑑」展(2023年4月15日~6月18日)。
小林一三は19歳で慶應義塾を卒業し、三井銀行(当時)に入り大阪支店などで勤務。1907年に退職し、箕面有馬電気軌道(現在の阪急宝塚線・箕面線)を創立した。
そして、自身の53歳の誕生日、1926(大正15)年1月3日の新聞紙上に「沿線に住居することがいかに愉快で、その生活をエンジョイできるかという理想郷を出現させたい」とコメントしている。
彼が提案したライフスタイルは、阪急沿線だけにとどまらない。「小林一三モデル」は、全国の大手私鉄や分割民営化後のJRにも多大な影響を与え、近代日本の人々の暮らしにうるおいを提供し続けている。
1920~1930年代の阪急沿線の発展と人びとのくらしを取りあげる。明確な定義はないが、「昭和モダン」は第一次世界大戦以降、日本に西洋化の波が押し寄せたことによる”和洋折衷”文化とされる。
流行の最先端を取り入れた若者、「モボ・モガ」ことモダンボーイ・モダンガールが登場したこの時期、欧米文化の取入れとともに、大量消費、スピード重視の時代に。モダンであることはファッションに限らず、人々の考え方や価値観に変化をもたらした。
◇スピードの時代
この時期、神戸・大阪間の路線を一本の線として表現し、大きく数字を示すポスターが目立つのは、スピードを強調する意図があったと思われる。