「明石は大丈夫!」泉房穂市長・退任 走り切った3期12年、見送りに多くの子どもたち 新たなプランも明かす | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「明石は大丈夫!」泉房穂市長・退任 走り切った3期12年、見送りに多くの子どもたち 新たなプランも明かす

LINEで送る

この記事の写真を見る(21枚)

 2023年4月末の任期満了をもって退任する兵庫県明石市の泉房穂市長(59)が最後の登庁日となった28日、退任会見を開いた。

 3期12年間の市政運営を総括した泉市長は、「市民に向いた政治をやり切った。明石のために全身全霊でやってきた。悔いはない」と話した。

最後の登庁日を迎え、退任会見する泉房穂・明石市長<2023年4月28日午後 明石市役所>
佐野洋子副市長から花束を手渡される泉市長

 「こんなに喜怒哀楽の激しい、トラブルの多かった市長を理解いただけたことが、とてもありがたい」と、市民への感謝の言葉を会見の冒頭で述べた泉市長。
 明石市長になりたいと思ったのは10歳の時。漁師の家に生まれ、障がいを持つ弟の世話をしながら「弱者にやさしい街づくりはできないものか」と本気で考えたという。
 そして、多くの市民が「明石出身です」と言わず、「神戸のほうです」と話す現実を見聞きし、どうしても解せなかったのが東大在学中の20歳の頃。

 教育学部で学び、「日本は子どもに冷たい国。予算を子どものために使っていない」と感じていた。ヨーロッパ並みの水準まで上げることはできないだろうか、いやできるはずだと信じていた。

 メディアの世界に身を投じた時期もあった。その後、国会議員秘書、衆議院議員、弁護士を経て、2011年の明石市長選に出馬し、本命と言われた候補に69票の僅差で勝った。

「ようし、この明石を絶対に変えるぞ! 見といてや」。ラジオ関西のインタビューにこう答えた。投開票日となったこの年の4月24日、日付が変わろうとしていた。

 それ以来、市民に寄りそい、逆に市民から手を差し伸べてくれた。

 その一方で職員と向き合い、市議会と対峙し、暴言問題や摩擦、あつれきを生んだ。

市議への暴言を陳謝、政界引退を表明する泉市長<2022年10月12日>
危険性を知るために自らも免許を取得、明石市独自の「水上バイク条例」制定について説明<2022年2月22日>

「子どもを軸とした街づくり」「誰ひとり取り残さない」「やさしい明石をこれからも」……今でこそSDGs(持続可能な社会)実現に向けて、市民権を得た言葉だが、泉市長にとっては、そのはるか前から言葉の端々にあったキャッチフレーズだった。

 子どもに向けた予算を、125億円から297億円と2倍以上に増やした。高齢者にも、障がい者にも優しい政策を進めた。犯罪被害者支援、旧優生保護法被害者への救済、ひとり親家庭支援、子育てにおける5つの無料化など挙げればきりがない。

明石市独自の「優生保護法・救済条例」成立 被害者と喜びを分かち合う<2021年12月21日>
明石市で開催された(2022年11月)「全国豊かな海づくり大会」を前にさかなクンと<2022年7月1日>

 気付けば、2012年以降10年連続人口増加、住みたい街ランキング上位ランクイン、「明石だから引っ越してきた」と言われるほどになった。もう、「神戸のほう」という声は聞かれない。理想的な都市の再生だった。

 引退表明以来、多くの市民から「今後どうするのか」という声を聞いた。

 しかし、「あとのことは白紙」。再び政界を目指すのかという問いには、うなずかなかった。「市長の仕事、本当にしんどかった。街と市民に責任を負う者として」。

LINEで送る

関連記事