2023年4月末の任期満了をもって退任する兵庫県明石市の泉房穂市長(59)が最後の登庁日となった28日、退任会見を開いた。
3期12年間の市政運営を総括した泉市長は、「市民に向いた政治をやり切った。明石のために全身全霊でやってきた。悔いはない」と話した。
「こんなに喜怒哀楽の激しい、トラブルの多かった市長を理解いただけたことが、とてもありがたい」と、市民への感謝の言葉を会見の冒頭で述べた泉市長。
明石市長になりたいと思ったのは10歳の時。漁師の家に生まれ、障がいを持つ弟の世話をしながら「弱者にやさしい街づくりはできないものか」と本気で考えたという。
そして、多くの市民が「明石出身です」と言わず、「神戸のほうです」と話す現実を見聞きし、どうしても解せなかったのが東大在学中の20歳の頃。
教育学部で学び、「日本は子どもに冷たい国。予算を子どものために使っていない」と感じていた。ヨーロッパ並みの水準まで上げることはできないだろうか、いやできるはずだと信じていた。
メディアの世界に身を投じた時期もあった。その後、国会議員秘書、衆議院議員、弁護士を経て、2011年の明石市長選に出馬し、本命と言われた候補に69票の僅差で勝った。
「ようし、この明石を絶対に変えるぞ! 見といてや」。ラジオ関西のインタビューにこう答えた。投開票日となったこの年の4月24日、日付が変わろうとしていた。
それ以来、市民に寄りそい、逆に市民から手を差し伸べてくれた。
その一方で職員と向き合い、市議会と対峙し、暴言問題や摩擦、あつれきを生んだ。
「子どもを軸とした街づくり」「誰ひとり取り残さない」「やさしい明石をこれからも」……今でこそSDGs(持続可能な社会)実現に向けて、市民権を得た言葉だが、泉市長にとっては、そのはるか前から言葉の端々にあったキャッチフレーズだった。
子どもに向けた予算を、125億円から297億円と2倍以上に増やした。高齢者にも、障がい者にも優しい政策を進めた。犯罪被害者支援、旧優生保護法被害者への救済、ひとり親家庭支援、子育てにおける5つの無料化など挙げればきりがない。
気付けば、2012年以降10年連続人口増加、住みたい街ランキング上位ランクイン、「明石だから引っ越してきた」と言われるほどになった。もう、「神戸のほう」という声は聞かれない。理想的な都市の再生だった。
引退表明以来、多くの市民から「今後どうするのか」という声を聞いた。
しかし、「あとのことは白紙」。再び政界を目指すのかという問いには、うなずかなかった。「市長の仕事、本当にしんどかった。街と市民に責任を負う者として」。