5月1日に就任した丸谷聡子・兵庫県明石市長(59)が、ラジオ関西(神戸市中央区)の生放送に出演し、「7万7017票という数(得票率64.74%)の重みを感じる。明石市議選での圧勝、それは市民からの多大なる負託を受けたということ。責任は大きい」と気を引き締めた。
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出演は市長選当選から一夜明けた4月24日。当選証書の受け取りや記者会見、支援者へのあいさつなどの予定をこなし、8年ぶりにラジオ関西のスタジオに。
丸谷市長は、日本野鳥の会ひょうごの代表を務めていた2013年から2年間、ラジオ関西のワイド番組内で、野鳥の魅力や生態系の保護などについて、わかりやすく伝えるレギュラーコーナーに出演していた。
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4月30日の任期満了で退任した泉房穂・前明石市長から後継として出馬を要請されたのは、3月21日。告示まで1か月を切っていた。丸谷市長にとって、予想だにしていなかったことが訪れる。
「てっきり、泉市長(当時)が出馬するものと思っていたんです」。泉氏から打診を受けた際も、会う前から、むしろ丸谷市長自身が泉氏に退任を慰留しようと思っていたほど。
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明石市議会議員を2期務め、「さぁ、3期目の出馬」と、準備を進めていた。ポスターのデザインもできあがり、選挙事務所に据え付けるコンテナハウスも届き、準備万端だった。
そこで泉氏が発した言葉は、「あなたに、明石の街と市民を託したい」。
青天の霹靂(へきれき)とはこのことか。でも、泉氏は8年間、市議としての自分を、そこまで見ていたのかと驚いた。「バトンを渡したい」という本気の言葉に、一晩考え抜いたという。
母親は反対した。自身が5歳の時に父親に先立たれ、幼い妹の世話をしてきた。ヤングケアラーだった丸谷市長。「もう、娘の大変な姿を見たくない」と泣いたという。
しかし、ある若者の言葉が決め手になった。「一度しかない人生、チャレンジしたらいい」。その若者は、かつて生きるのに疲れ、自ら命を絶とうとしていた。丸谷市長は「人生諦めたらダメ。頑張って生きていこうよ」とエールを送っていたのだ。
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