平安時代に創建され、1200年を迎えた京都・高雄山(京都市右京区)の神護寺で、弘法大師・空海ゆかりの国宝「紫綾金銀泥絵両界曼荼羅図(むらさきあや ・きんぎんでいえ・りょうかいまんだらず)」の原寸大模写が初公開されている。5月9日(火)まで。 ※記事中の写真は、特別に許可を得て撮影しています。
神護寺は823(弘仁14)年に開創され(開基は和気清麻呂)、空海が嵯峨天皇から東寺(教王護国寺)や高野山を下賜される前の一時期、住んでいたとされる真言宗の遺迹(ゆいせき)本山と呼ばれている。
今年(2023年)は空海生誕1250年の節目だが、神護寺としては開創1200年の記念行事として今回の公開を決めた。
神護寺は、伝教大師・最澄が唐へ渡る前に招かれた場所で、法華経の講義を行うなどしていた。また、帰国後も高雄山に訪れ、7つ歳下の空海に弟子入りして、頭頂に水を灌(そそ)ぎ、仏の位に達したことを証明する「灌頂(かんじょう)」という儀式を授かった。このように神護寺は最澄と空海という平安仏教のニ大巨頭ゆかりの寺院でもある。
初公開された曼荼羅は、 江戸時代の1793年(寛政5)年に光格天皇の勅願で修復された際に原寸大で模写されたもの。
慈悲を表す「胎蔵界(たいぞうかい)」と、大日如来の智慧を説く「金剛界(こんごうかい)」の一対で構成され、「両界曼荼羅」と称される。 それぞれが縦横約4メートルで、重さは約20キロ。これまでに公開した記録は残っていない。
原物は、赤紫色の綾地に金泥・銀泥(きんでい・ぎんでい)で描かれた現存最古の両界曼荼羅とされ、空海が唐で授けられた曼荼羅の図様をもとに、淳和天皇の御願(ごがん / 地位ある人の立っての願い)により天長年間(824~833)に描かれたと考えられている。空海自身が直接制作に関わった、現存する中で唯一の両界曼荼羅とされる。