イチゴにオレンジ、メロンにコーラ……。駄菓子屋に並ぶ色とりどりの小袋。小学生のころ、誰しも一度は飲んだことがあるであろう「粉末ジュース」。発売から60年が経ついまも、駄菓子屋の定番商品です。そんな粉末ジュースを、現在日本で唯一製造しているメーカー・松山製菓(愛知県名古屋市)の片山さんに話を聞きました。
―――いつ発売された?
【片山さん】 日本で発売されたのは1960年前後です。当時、弊社のある名古屋で6社、全国では数十社にものぼる企業が粉末ジュースを作っていました。他社ではありますが、「ほほいのほ~いでもう一杯」でお馴染みの渡辺製菓さんのCMが印象に残っている人は多いのではないでしょうか。
―――当時の人気ぶりは?
【片山さん】 各家庭に当たり前のようにあるほど、人気だったそうです。現在でいうプロテインが入っているような大袋で販売しており、家に常備しているのが普通でした。
現在と比べると本物のジュースは高価で、いわゆるぜいたく品のような位置づけでした。一方、粉末ジュースは1杯10円程度と非常に安価だったため、そこが皆さんに広く飲んでいただけた1番の理由だと思います。
―――その後、人気の変化は?
【片山さん】 実は、“ある”出来事をきっかけに一時期急激に勢いを失ってしまいました。当時、粉末ジュースの主成分は「チクロ」と呼ばれる甘味料だったのですが、1969年に健康上の問題からアメリカでの使用が禁止され、その後日本でも使用禁止になったんです。値段が安く、ほとんどの会社がチクロをメインに使用していたため多くの企業が製造から撤退していき、その規模は半減では済まないレベルだったと思います。
生き残った企業は健康に害のない別の甘味料に切り替えて製造を続けましたが、以前ほど安価で製造することが難しくなったため売り方を変える必要がありました。そこで各社がとったのが、「小袋で売る」という方法です。現在のように駄菓屋さんで1杯ごとの小袋で販売されるようになったのは、チクロの禁止が原因でした。
小袋で販売されるようになってからは、皆さんに馴染みがあるように駄菓子屋の定番商品として定着していきました。
―――どのように楽しまれていた?
【片山さん】 駄菓子屋で売り出した当初は、小袋と一緒にストローを付けて販売していました。購入した子どもたちはその足で公園に行き、小袋に直接水を入れてストローで飲んでいました。なかには、豪快に粉をそのまま食べる子もいたそうです(笑)。
現在だと、まとめて買って帰り複数の味を組み合わせて楽しむという飲み方も人気です。