1970年代に矢沢永吉さんとキャロルを結成。日本語のロックを成立させ、現代のJ-POP、J-ROCKにも多大な影響を与えたジョニー大倉さん。その偉大な才能が残した色あせない名曲たちについて、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター、TikTokerの橋本菜津美が、ラジオ番組で語りました。
(※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』2023年11月10日放送回より)
【中将タカノリ(以下「中将」)】 この番組(ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』)では以前、1970年頃に内田裕也さんとはっぴいえんど・松本隆さんの間に日本語ロック論争が起こったというお話をしました。結局、1972年にキャロルがデビューし、新たなロックのスタイルを打ち出したことで論争は終結するのですが、今回はそのキャロルで作詞を担ったジョニー大倉さんについて深掘りしたいと思います。
【橋本菜津美(以下「橋本」) 日本語ロック論争……覚えてます! 日本語でロックができるのかどうか……ほんの50年前にそんな論争があったなんてびっくりです。
【中将】 日本のポップスは常に洋楽の影響を受けて発展してきました。戦前にはディック・ミネさん、1960年代には漣健児さんらが洋楽のフィーリングを上手に日本語で表現してムーブメントを築きましたが、1970年初頭になるとメロディーやリズム、おまけに思想的な部分まで複雑化して、日本のポップスは再構築を迫られていたわけですね。そこでエポックメイキングになったのが、ジョニー大倉さんです。
【橋本】 具体的にはどんな歌詞を書かれたのでしょうか?
【中将】 キャロルの代表作『ファンキー・モンキー・ベイビー』(1973)を聴いてもらうとわかりやすいと思いますが、洋楽的なリズムに歌詞を乗せるために英語と日本語をチャンポンして、巻き舌ぎみに歌ったんですね。「君はファンキー・モンキー・ベイビー おどけてるよ」……まだまだ大多数の日本人が“正しい日本語”にこだわっていた時代なので、これは革命的でした。その後のサザンオールスターズやBOOWY、B'zのようなスタイルをいち早く作ったわけです。ジョニーさんの歌詞はその後のJ-POP、J-ROCKの礎と言っていいと思います。
【橋本】 確かに、みなさん意味のあるような、ないような、英語混じりの歌詞で、巻き舌ですよね! 「ファンキー・モンキー・ベイビー」も、なんの意味もない言葉だけどインパクトがすごい!
【中将】 キャロルの曲は矢沢永吉さんが、いわゆる“インチキ英語”で歌ったメロディーに、ジョニーさんが歌詞を付けるという方法で作られていました。ものによって初めは全部英語で作って、そこから部分的に日本語にしていくような作り方をしたそうですね。
【橋本】 画期的な歌詞の作り方ですね! ジョニーさんすごい!
【中将】 チャンポンの大胆さという点では『ヘイ・タクシー』(1973)もすごいです。「ここでタクシーさがし早く彼女に hold me tight」「君のためなら I'm give you all my love 君にささげる Happiness 」とか、もはや何言ってるかよくわかんないんだけど、ノリが良くてカッコいい。
【橋本】 英語なんだけど日本語に聞こえるような錯覚感もありますよね。
【中将】 空耳感ですね。サザンオールスターズ・桑田佳祐さんの歌詞にはそういう部分をさらに進化させたものが多いですね。
【橋本】 そうですよね。私もたまに英語混じりの歌詞を書くんですが、知らずにジョニーさんの影響を受けていたんですね……!
【中将】 意識するしないに関わらず、今いるほとんどのミュージシャンが影響受けてるんじゃないですかね。こういうスタイルを「日本語として美しくない」とか小馬鹿にする節もあるんですが、そういう人はそもそもロックンロール……ひいては音楽が分かってない。特にジョニーさんの歌詞にはなんとも形容しづらい叙情的な、詩的な世界感があります。
その背景には在日韓国人2世で、しかも早くにお父さんを亡くして母子家庭で苦労されたこと、少年期に外国の子供たちと交流されたことなど、さまざまなものがあると思います。キャロルはギンギンの曲ばかりじゃなく、ミディアムやバラードもいいんです。『彼女は彼のもの』(1973)も、その1つです。
【橋本】 50年前の曲なのに色褪せないお洒落さを感じます。シンプルな曲だけど、当時では斬新だったでしょうね。こういう曲を作って「どうだ!」って自信を持って打ち出せる感覚は天才的だなと思います。
【中将】 ジョニーさんのすごみはチャンポンだけじゃなくて、当時キャロルで苦楽をともにした矢沢さんへの複雑な感情をラブソングとして昇華しているところです。凡人にはできない発想ですよね。
1975年の解散後もいろいろ衝突があって、晩年はほとんど没交渉になってしまったお二人なんですが、2014年にジョニーさんが亡くなった時、矢沢さんはライブのセットリストを急きょ変更して『二人だけ』(1973)を披露しました。「今夜 君 二人だけ愛の唄 捧げたい」……矢沢さんも歌詞に込められた思いを知って、この曲を歌われたんだと思います。