《阪神・淡路大震災29年》震災を知らない世代「未来の神戸、創りたい」曽田みなみさん・山本小湖さん | ラジトピ ラジオ関西トピックス

《阪神・淡路大震災29年》震災を知らない世代「未来の神戸、創りたい」曽田みなみさん・山本小湖さん

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 山本さんは、「神戸市の海沿いにある企業同士で津波や地震がきた時に協力し、ともに助けあえる協定を結ぶことができれば理想的」と話す。これが共助の思い。そして、「夢みたいな話かも知れないが、みんなが助かるように地上ではなく、空中に避難場所があれば」と、将来的なインフラは何かを考えるようになった。

 ”伝える使命感”より、“救うための責任感”。たとえリアルに震災は知らなくても、未来を形づくることはできる。

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 曽田さんは神戸市東灘区出身。かつて大震災があったとは考えられないほど美しい神戸の街で快適さを感じている。
 当時の惨状をリアルで見たことがない。実感がわかない。「コンパクトな街で、坂が多いものの、自転車さえあればどこへでもいける。山に登ると、すぐ近くに海を見渡せる、海と山をすぐそばで感じられる神戸の風景は他にない」と神戸の魅力を話す。

阪神・淡路大震災直後のJR摂津本山駅南側(神戸市東灘区)1995年撮影 ※画像提供・神戸市
阪神・淡路大震災直後の神戸・ポートタワー付近岸壁(神戸市中央区)1995年5月12日撮影 ※画像提供・神戸市

 一方、再開発ラッシュで、街そのものが新しく変わろうとしている神戸を見て思うことがある。地元の岡本や摂津本山(いずれも神戸市東灘区)などに小さいお店や商店街、古い歴史のある建物が残っていたが、そんな街並みも大型の商業施設などに変わり、神戸ならではの良さが薄れていることに寂しさを感じていた。

 曽田さんの両親は震災当時、神戸を離れていたので、震災の話を聞く場は学校しかなかった。小・中学校では毎年1月になると防災訓練が始まり、被災者の方の話を聞き、防災について考える、それがルーティンのようになっていたと振り返る。

幼少期の曽田さん

 メディアが震災を取り上げ、倒壊した阪神高速道路や長田の火災、三宮・東遊園地などの被災当時の神戸市街地の映像を目にする。毎年、その時期になると風化を防ぐための報道という趣旨は理解しているが、なかなか“自分事”にならなかった。震災のことについて友人と話すこともなく、1.17が過ぎると震災のことは忘れてしまう自分がもどかしかった。

阪神・淡路大震災直後の生田神社(神戸市中央区)1995年撮影 ※画像提供・神戸市
阪神・淡路大震災直後の神戸市東灘区・本山南町 1995年撮影 ※画像提供・神戸市

 ただ、東日本大震災が発生した日のことは鮮明に覚えている。3.11以降は、日本が地震大国であることや、神戸の街も大きな震災を乗り越えた街であることを改めて考えるようになったという。リアルで目にした大地震の恐ろしさと、断片的に聞いていた神戸の惨状が交錯して、とてつもなく恐ろしい出来事が自分の前に立ちはだかったような気がした。

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