今年で結成50周年を迎えるフォークデュオ「紙ふうせん」の後藤悦治郎さんと平山泰代さんが、ラジオ関西の朝の番組にゲスト出演し、これまでを振り返っての思いや、毎年開催しているリサイタルへの意気込みなどを語りました。
高校の同級生であり、フォークグループ「赤い鳥」を経て、同グループ解散後の1974年から活動を始めた、紙ふうせん。代表曲『冬が来る前に』などのオリジナル曲だけでなく、民謡などの伝承歌を、長年にわたって丁寧に歌い続けています。また、自治体・企業のイメージソングや、小学校などの校歌の制作にも積極的に取り組み、「数えたことがない」(後藤さん)ほど数多くの作品を生み出しています。
そんな紙ふうせんの半世紀にわたる活動を振り返って、「あっという間に過ぎましたね」というのは平山さん。一方、後藤さんは、「コロナ(禍)の2~3年が、15年くらいに感じた」そう。
結成前に結婚し、夫婦デュオとして歩む2人には、ラジオリスナーから「一緒に音楽活動しているが、日常生活でも、仕事場でも、仲良く続けてこられた秘訣は?」という質問も寄せられました。
これに対し、「たぶんツッコミとボケを決めてやっていたから。彼女がツッコんでくる、僕がボケて返す。それがあったからだと思う」と、にこやかに答えた後藤さん。毎年開催するリサイタルについても、平山さんが「どの曲をやろうかな、曲順はどうしようかなど、いつも必死」というのに対して、後藤さんは「この歳になると、そんなに肩に力を入れんでもええと思う(笑)」とマイペース。それでも、その絶妙の関係性が、紙ふうせんのよさとして表れているようです。
また、オンエアでは、「赤い鳥」時代に歌った楽曲『紙風船』と、デュオ名「紙ふうせん」の由来や違いについての質問も。後藤さんは次のように明かします。
「黒田三郎という現代詞の詩人の詩『紙風船』にあった『落ちてきたら 今度は もっと高く……』という詩を読んで、すぐ黒田さんに電話して、『歌わせてください』と。(許可を得て)赤い鳥で曲を作って歌った。(グループ名でふうせんをひらがなにしたのは)1970年代は重厚長大な時代だったので、それと逆のことをやるのが音楽家だと。壊れやすいものをバンと前に出して、『あなたが息をふぅっと吹きかけてくれたら、僕たちはどこまでも飛んでいきます』という意味を込めて(デュオ名を)付けた」
その紙ふうせんの恒例のコンサート、「紙ふうせんリサイタル ~なつかしい未来~」。2006年から始めて、17回目となる今年は、10月14日(月・祝)午後6時から、紙ふうせんのホームでもある兵庫・西宮の、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで行われます。