【橋本】 私もこれがロカビリーだと思っていました(笑)。
【中将】 原曲のポール・アンカは当時10代で、ロックンローラーではなくアイドルっぽいポップス歌手でした。だけど敬二郎さんは『ダイアナ』を革ジャン、リーゼントでカバーして大ヒット。平尾昌晃さん、ミッキー・カーチスさんとともに“ロカビリー三人男”と呼ばれ、日本にロカビリーブームを巻き起こします。
【橋本】 今みたいにSNSとかもありませんし、言葉の壁もあるし、そういう勘違いって起こりやすかったんでしょうか……。
【中将】 そうなんでしょうね。途中で気付いた人もいたでしょうが、ブームが盛り上がっているのに今さら訂正しようもないだろうし……。でも、こういう勘違いがあったから、世界でも独特な「日本のロカビリー」という文化が生まれたのだとも思います。むしろメリットはあったんじゃないでしょうか。
さて、次に紹介するのは、なんと美空ひばりさんのロカビリーナンバー。「ロカビリー剣法」(1958)です。当時、まだ二十歳くらいだったひばりさん。それまでにもジャズはやっておられたし、流行のロカビリーも取り入れてみたというところでしょうか。
【橋本】 歌い方は時代劇風だけど演奏はロック風で……斬新な曲ですね(笑)。
【中将】 本人主演の映画『花笠若衆』の主題歌です。当時、人気上昇中だったロカビリーバンド、堀威夫とスウィング・ウエストをバックにレコーディングしました。堀威夫さんはホリプロの創業者で現会長ですね。
ひばりさん、江利チエミさんとともに“三人娘”と呼ばれた雪村いづみさんも、こんな曲を残しています。ジーン・ヴィンセントのカバーで『ビバップ・ルーラ』(1957)。
【橋本】 すごくお上手なんですが、どちらかと言えばロックより、ジャズっぽく聴こえますね……。
【中将】 そうなんです。ひばりさんもチエミさんもジャズ世代だから、ロカビリーをやってもノリが全然それっぽくならないんですよ。『ビバップ・ルーラ』は後にジョン・レノンもカバーしているし、ロカビリーらしいロカビリーナンバーなんですけどね。それまでのジャズの4ビートに慣れた人にとって、ロックンロールの8ビートやロカビリーのつんのめったシャッフルビートはなかなか馴染みにくかったんだと思います。
その後のロカビリーブームですが、1960年代半ばにエレキブームやグループサウンズブームが起こるまで、なんとなく続いていきます。その中で出てこられたのが、後のロックシーンに大きな影響を与える内田裕也さんや尾藤イサオさんです。今回紹介する最後の曲は、尾藤イサオさんで『悲しき願い』(1964)。