「お父さんは、お母さんとおなかの中にいるぼくを必死で守ってくれたんだって」
「病院も地震で壊れて電気も水も止まった。お父さんは懐中電灯でお母さんを照らしていたんだって」
「夕方6時21分、ぼくはようやくうまれたんだって。お父さんもお母さんもたくさんたくさん泣いたらしいよ。うれしくて」
震災発生から自身の誕生までを、翼さんによる一人称、「ぼく」が語るスタイルだ。
翼さんにとって、誕生日の「1.17」が重くのしかかる時期がくる。
父親の仕事の関係で小学5年の時に岐阜県に移り、阪神・淡路大震災の話題に触れる機会は減った。
しかし、中学3年・15歳という多感な時期に神戸に戻り、翼さんの心境が変化する。震災でどれだけの人が亡くなり、神戸・阪神間の街並みがどのように崩れていったのかを知る。確かに幼い頃、震災の話は聞いたが、他人事だった。
物心がつき、故郷・神戸で聞く震災の被害。翼さんは「あの時、(精神的に)とてもしんどかった」と振り返る。
両親から直接、震災の話を聞くことはなかった。あえて翼さんの耳に入れなかった。1月17日という自分の誕生日を純粋に祝うことができない翼さんの心情を察してのことだった。