サッカー・元なでしこジャパン(日本女子代表)の川上直子氏が、自身がパーソナリティーをつとめるラジオ番組『カンピオーネ!レオネッサ!!』(ラジオ関西)の冒頭で、阪神・淡路大震災を経験したときの様子を明かしました。
兵庫県明石市出身で、震災のあった当時、高校2年生だった川上氏。「それまで地震というものを経験したことがなかったので、ドーンときたときには、地球が爆発したのかと思ったくらい(の強い衝撃を受けた)。地震というのがすぐに頭に浮かばなかった」といいます。
神戸の高校に通いながら、日本女子サッカーリーグの田崎ペルーレFCでプレーしていた川上氏ですが、震災後しばらくの間、高校に行くことはできなかったそう。
一方、1994シーズンに、所属していた田崎ペルーレは2部のチャレンジリーグで1位となったため、チームは1部復帰をかけて、1部の最下位とホームアンドアウェイの入替戦を戦うことになっていました。その大事な試合のため、チームは神戸の北側にある吉川町(現、三木市)や静岡のつま恋で合宿を行ったそうですが、震災の惨状を目の当たりにしてきただけに、「サッカーをこの状況でやっていていいのか……」という思いにもかられたようです。
それでも、その年に産声をあげたヴィッセル神戸や、当時神戸をホームとしていたプロ野球のオリックスとともに、田崎ペルーレも「スポーツで神戸を元気にしよう」と立ち上がり、川上氏いわく、「苦しいなかですがサッカーをさせてもらったという、そういう時期でした」。選手たちの奮闘もあって、田崎ペルーレは2月末から3月上旬にかけて行われた入替戦で2連勝を飾り、見事に1部復帰を達成。その後、1995シーズンでは、前期こそ10チーム中8位と出遅れましたが、後期には3位に躍進しました。
同じく番組パーソナリティーをつとめるタレント・フリーアナウンサーの宮川陽香さんから、「スポーツができているのは平和の象徴で、当たり前じゃない。私たちも、メディアで伝えていくことや、あとは個人個人がそういうとき(災害時)のために備えるのが必要、大事になることだと思う」という話しが出た際には、川上氏も「南海トラフが必ずいつかはくるといわれていますから……」と述べ、震災の記憶や防災意識を語り継ぐ思いに深く共感していました。
※ラジオ関西『カンピオーネ!レオネッサ!!』2025年1月20日放送回より