事件発生から15年。ラジオ関西が敏さんと重ねた対話は15時間近くにのぼる。その音声データを改めて聴き直すと、何度も同じ言葉が繰り返されている。
それは「事件発生から犯人逮捕までの10年10か月は、“後ろ向き”。『あの時、こうだった。いや、こうすれば良かった』という気持ち。しかし、男の逮捕以降は、“前を向いて真実を追求する”」。
「被告が反論したいのなら、堂々と法廷で主張すればいい。私たち遺族は、1ミリも引かないのだから」。敏さんはブレることなく、公開の場で真実を明らかにしてほしいと訴える。

事件から10年10か月経っての逮捕、男は兵庫県警での取り調べで、「秘密の暴露」という、本人にしかわからない、具体的な経緯を説明していたという。
しかし、刑事裁判では一転、「覚えていない」という供述に変わった。
敏さんら遺族にとって、動機を含め、うやむやにされたことの苦痛がのしかかる。
事件から15年。男が逮捕されるまでの10年10か月は、気持ちが折れそうになりながら、男の逮捕の瞬間を迎えた「第1章」。
男が殺人罪で起訴されてから、捜査資料を体に染み込ませるように目を通し、来たるべき刑事裁判に備えた「第2章」。
そして、男と向き合った刑事裁判が「第3章」。
「第4章」のいま、民事裁判を通して知りたいのは、10年10か月もの逃亡期間、男は何を考えていたのか、誰かが逃亡の手助けをしていたのではないか……。
しばらくはウェブ会議だったが、敏さんらは限りなくリアルにこだわり、法廷での審理を求め、家族や支えてくれる知人とともに臨んだ。


敏さんは可能な限り、資料を取り寄せた。男は犯行後、カウンセリングに通っていたことがわかった。「どんな精神状態で生活をし、将太を殺めるに至ったのか。しかし、民事裁判のウェブ上の審理で男が出てくることもなく、遺族にとって何もわからない。「毎回、肩透かしか……」。
刑事、民事の各裁判で被告に判決が下されたらそれで終わりではない。「失われた命は帰ってこない。私たち遺族は、ずっと遺族なのだから」。

敏さんの手元には複数の本が並ぶ。“加害者家族”について。敏さんらとは立場の異なる人々について記されたものだ。

各界から敏さんへの講演依頼が相次ぐ。本音は「『私は犯罪被害者遺族です。こういう経緯で、こんな思いをしました』という内容ひとつで済むかもしれない」。




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