日本遺産「銀の馬車道・鉱石の道」を辿る旅も、一旦、大詰め。今回訪れたのは、兵庫県朝来市にある生野銀山です。生野銀山は、かつての明治政府の官営鉱山第1号として日本の近代化に大きく貢献しました。
坑道に入る前に、まずは、資料館で銀山の歴史を学びます。江戸時代の採掘は、ノミとカナヅチを使った手作業。坑道は幅70センチ、高さ90センチほどと、人がやっと入れるほどの狭さだったそうです。
灯りは、サザエの貝がらに菜種油を入れたもの。地下に湧く水は、リレーのようにバケツで汲み上げて排水していたといいます。いまでは想像もつかないような環境のなかで、鉱山の仕事が続けられていたことに驚かされました。
そんな時代から、明治になると状況は大きく変わります。フランス人技術者の指導によって坑道は広く整備され、レールやトロッコを使った運搬も可能になりました。日本の近代鉱業の出発点ともいえる変化が、ここ生野で起こっていたのです。
予習を終え、いよいよ坑道へ。生野銀山の管理を行っている、株式会社シルバー生野の取締役社長・高山孝一さんと、生野銀山ボランティアガイドの萩野喜代一さんに案内してもらいます。
歩きながら見せていただいたのが、岩肌に残る採掘の跡です。よく見ると、岩のなかに白い筋のような模様があります。これは「鉱脈」と呼ばれるもので、中には銀などの金属が含まれているのだそう。
むやみに掘るのではなく、鉱脈を見つけながら坑道を掘り進めていく——。そんな採掘の基本も教えていただきました。

坑道の総延長は、およそ350キロメートル。地下は、最深で約880メートルにも達したといいます。
採掘された鉱石はトロッコで運ばれ、地上で砕かれて銀を取り出しますが、1トンの鉱石から得られる銀は多くても約500グラムほど。わずかな銀を取り出すために、気の遠くなるような作業が続けられていたことがわかります。
坑道の奥まで進んでいくと、外の空気との変化も感じました。坑道内は1年を通して約13度に保たれているそうで、冬に訪れたこの日は、むしろ暖かく感じるほどでした。





