近代の作業風景を学べるゾーンには、作業員たちが地下へ降りるために使用していた「エレベーター」があります。ただ、デパートでみられるような箱型ではなく、壁のないカゴのような形をしています。
私は「この広さだと4人ほど入れるか……それでも危ないかな……」と想像したのですが、萩野さんからの「8人入れます」という言葉には驚きを隠せませんでした。エレベーターの上下には2台のカゴがあり、それぞれ8人ずつ、あわせて16人も乗っていたのだそうです。
降車時のスピードについて尋ねると、萩野さんからは「1分間で150メートルほどですね」とすぐに返答が。こうして、その場で疑問を聞けるのもガイドと一緒に歩く楽しさのひとつだと感じました。
坑道は迷路のように広がっていますが、出口に近づくにつれて温度が変動することから外へ向かっていることがわかります。
外の風を感じた瞬間、「あ、もうすぐ出口だ」と思いました。そのとき、ここで働いていた人たちも同じように感じていたのかもしれない——。そんな想像が、ふと、頭をよぎります。
銀の馬車道と鉱石の道を辿る旅の最後に訪れた、生野銀山。掘る人、運ぶ人、選り分ける人……。多くの人の仕事がつながり、日本の産業を支えてきました。
その出発点に立ってみると、この道が単なる鉱山の歴史ではなく、人の営みが積み重なった物語だったことに気づかされます。
長い年月を経て残された坑道は、いまも静かにその歴史を伝えていました。
(取材・文=洲崎春花)
※ラジオ関西「谷五郎の笑って暮らそう」より





