終戦前日の京橋駅空襲「争いはいかん、生きていることが一番」「平和とは、相手への思い」終戦81年

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 太平洋戦争の終戦前日、アメリカ軍による最後の大阪大空襲で多くの命が奪われた「京橋駅空襲」。

大阪大空襲は1945(昭和20)年3月13日~8月14日まで8甲斐にわたった ※画像提供・照屋盛喜さん(大阪市城東区在住)

 惨劇から81年を迎えた8月14日午前、被災者慰霊祭が大阪市城東区のJR京橋駅南口にある慰霊碑前で営まれた。

 慰霊祭は1955(昭和30)年に始まり、72回目を迎えた。

72回目を迎えた京橋駅空襲慰霊祭〈2026年8月14日 大阪市城東区〉
約200人が参列、空襲犠牲者に哀悼の意を捧げた

 1945年(昭和20年)8月14日、米軍のB29爆撃機145機が来襲(第8次大阪大空襲)。
 ターゲットは大阪城の敷地内にあった大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)。6万5000人が動員された“東洋一の軍需工場”と呼ばれていた。

大阪砲兵工廠と大阪城 1870(明治3年)、大阪城の敷地に“東洋一の陸軍造兵廠”が建った

 広島・長崎の原爆投下の後、「フィナーレ爆撃」とも呼ばれた終戦前日の空襲。
 B29爆撃機は650発もの爆弾を次々に投下、造兵廠一帯は壊滅的な被害を受けた。その際、1トン爆弾が国鉄京橋駅を直撃し駅舎は吹き飛んだ。

ターゲットにされ、生々しく爆撃の跡が残る大阪砲兵工廠

 身元が判明した死者は210人、実際の犠牲者は500人~600人と推定されている。

京橋駅空襲直後の様子「助けてくれ」という悲痛な声、張り裂けんばかりの声で「水をくれ」と叫ぶ人... ※画像提供・照屋盛喜さん(大阪市城東区在住)
大阪城南東・森ノ宮一帯爆撃の跡 画像右上が砲兵工廠、中央から右の鳥居が森ノ宮神社 ※画像提供・照屋盛喜さん(大阪市城東区在住)
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